麺類雑学事典
「あられ」と「みぞれ」
冬季ならではのそばの種ものに「あられ(霰そば)」がある。幕末頃の風俗を記した『守貞謾稿』に紹介されていることは以前にも触れたが、もりそば一六文の江戸で、あられは花巻、しっぽくと同じ二四文(天ぷらは三二文)であった。文政8年(1825)の戯れ歌に、
風鈴のひヾきにつれてちる花は あられ蕎麦ともみえておかしや
という句があるから、文政の初めか、その前の文化(1804~18年)の頃あたりに商品化されたものと考える。
いうまでもなく、あられはバカガイの貝柱(子柱)を霰に見立て、そばの上に散らした種ものである。同様に霰に見立てた名称はけっこう多く、身近なところでは霰餅がある。日本料理では、材料を8ミリほどの賽の目に切ることを霰切りといい、タイなどの魚肉を細かく切って加えた粥は霰粥と呼ぶ。また、外面に粒状の突起を鋳出した茶の湯の釜を霰釜という。ちなみに、霰も雹(ひょう)も上空の水蒸気が氷の粒になって降ってくるものだが、雹の季節は夏で、冬は霰である。
さて、あられは現在、そばに敷いた海苔の上に貝柱をのせて熱いかけつゆをかけるのが定法とされているが、『守貞謾稿』には、
ばかと云貝の柱をそばの上に加ふを云
と解説されているだけで、海苔には触れていない。海苔を敷くようになった時期もよくわかっていないが、おそらく明治以降のことではないか。あられを玉子とじにする「あられとじ」も同様だろう。
あられの登場は天ぷらそばとほぼ同時期、あるいはその少し前と推定されているが、江戸でそばの種に使われたのはやはり、何といっても小柱が豊富に入手できたことが第一の理由だろう。江戸時代、江戸の海は芝エビの宝庫だったが、バカガイもたくさん獲れた。
バカガイは大きさはハマグリほどの二枚貝で、よく晴れて波の穏やかな日などに、殻から赤い舌のような足を出す習性があることから、この名がつけられたという。アオヤギというのは正しくはむき身のことで、千葉・青柳村でよく獲れたからともいわれる。この貝には大小二つの貝柱があり、大きいほうは大星、小さいほうは小星とも呼ばれる。小柱と呼ぶのは、タイラギ(タイラガイ)の貝柱などに比べて小さいからである。
ところで、霰と同じく冬の季語に霙(みぞれ)がある。雪が空中で溶けて雨まじりに降るものを指し、氷雨とも呼ばれる。日本料理では、大根おろしを使った料理名にこの霙を使い、みぞれ和え、みぞれ汁、みぞれ鍋などがある。
そば屋の品書きとしては見当たらないが、江戸の日本料理爛熟期に数多く出版された「百珍もの」の嚆矢となった『豆腐百珍』の続編(天明3・1783年刊)に「霙そば」が出ている。だし醤油でひと煮立ちさせたおぼろ豆腐をそばの上に「ざぶりとかける」もので、薬味はねぎ、大根おろし、わさびである。