そばの散歩道

麺類雑学事典

節分そば

いま一般に「年越しそば」といえば、12月31日の大晦日に食べるそばのことを指す。けれども、この一年の最後の日に食べるそばを年越しそばと呼ぶようになったのは、意外と新しいことのようだ。少なくとも江戸時代の後期には、大晦日ではなく節分に食べるそばを年越しと呼んでいた。江戸時代の史料で、大晦日に食べるそばを年越しそばと呼んでいるものは、いまのところみつかっていないとされる。

節分とは、季節の変わり目のことで、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日である。したがって、本来は一年に4回の節分があるわけだが、とくに立春の前日を称して節分と呼ばれるようになっている。この日の夕方、ヒイラギの小枝にイワシの頭を刺して戸口に立て、炒り豆(鬼打豆)をまいて悪疫退散、招福を願う風習があることは、ご存知のとおりである。もともとは7世紀末に中国から伝わった宮中の年末の行事だったのが、江戸時代頃から民間に広まり、立春の前日に行う清め事となった。

立春の前日の節分は大寒の最終日、つまり冬から春への節目の日である。そのため江戸時代には、大晦日ではなく節分を本当の年越し(立春が年の改まる日)という考え方があった。節分に食べるそばを年越しそばと呼ぶようになったのは、そのためという。

なお、節分が2月3日か4日というのは明治6年に新暦に改められてからのことで、それ以前の旧暦(陰暦)では、12月に節分が来る年もあった。そこで、次のような記述が出てくることになる(『大坂繁花風土記』文化11・1814年版)。

十二月三十日 晦日そばとて、皆々そば切をくろふ。
当月節分、年越蕎麦とて食す。

また、同書にはこういう条もある。

正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝う。
この日蕎麦切を食ふ人多し。

正月14日は小正月の前日で、昔はこの日を年越しとする風習もあったが、そばを食べるのは「節分になぞらへ」てのことというのだから、やはり年越しそばは節分に食べるものということになる。現在でも地方によっては、節分に年越しそばを食べる食習が残っているそうである。

ところで、年の暮れにそばを食べる風習はこれとは別にあり、こちらは「晦日そば」と呼ばれていた(江戸中期から商家を中心に広まった風習とされ、関西では「つごもりそば」と呼んだ)。ただし、晦日そばとはもともと月末に食べるそばで、何月末とは決まっていない。そのため、大晦日に食べるそばもたんに晦日そばと書かれるのがふつうで、それ以外には「運そば」とか「大年そば」などと表現されている。大晦日のそばが「年越しそば」になるのは明治半ば以降のこととされるが、原因は新暦に変わったことだったのかもしれない。