麺類雑学事典
たぬき
たぬきはきつねとともに、最も大衆的な種ものの代表とされているが、かけそば(かけうどん)に揚げ玉をのせるだけだから、きつねよりもはるかに簡便な種ものである。きつねの場合は少なくとも、油揚げを甘く炊くのに手間がかかる。また、天かすを利用するのだから、最も材料費のかからない種ものということもできる。
つまり、最も気軽な種もののわけだが、なぜ「たぬき」と呼んだのか、その由来ははっきりせず、いくつかの説がある。
たとえば、種らしいものが入っていないことから 「たねぬき」となり、それがさらに転じて「たぬき」になったという説。揚げ玉は天ぷらの揚げかすなのだから、とても「種」とはいえないということだろう。
また、揚げ玉のこってりとした味や色合いがタヌキに似ているためという説もあるが、色合いはともかく、味となるとその根拠は何かということになる。
そこで思い浮かぶのは、江戸時代から行われた狸汁だろう。別名、むじな汁。本来はタヌキの肉を大根、ゴボウなどと煮た味噌味の汁である。一般に、江戸時代までの日本では肉食は忌避されていたと思われがちだが、実際には意外と食べられている。ただし、獣肉食などご法度の寺院では、夕ヌキの肉の代わりにコンニャクを用いたそうで、現在、料理で狸汁といえば後者を指す。揚げ玉のこってりとした味から、どちらの汁の味が連想されていたのだろうか。
たぬきが品書きになった時期もはっきりしない。大正時代の大阪で、天かすを入れたうどんが「大正うどん」や「ハイカラうどん」の名で売り出されたというから、それが関東などに伝わり、そば台で「たぬき」と呼ばれるようになったのかもしれない。もっとも、大阪では 「きつねそば」を「たぬき」と呼ぶ伝統があるから、揚げ玉入りのそばが大阪で 「たぬき」と呼ばれるはずはなかったわけだ。京都では、きつねの餡かけが「たぬき」である。
ところで、たかが「たぬき」だが揚げ玉ならなんでもいいというわけではない。もともと天ぷらそば用の天ぷらを揚げた時に出る揚げ玉を使ったせいなのだろうが、東京のそば屋では、海老の香りが移った揚げ玉でなければ「本物のたぬき」ではない、という伝統もあったといわれる。
また、味の面でいえば、使用する小麦粉も無視できない。いま天ぷらの衣には薄力粉を使うのが常識になっているが、戦前のそば屋では輸入もののメリケン粉ではなく、国産中力粉の 「うどん粉」を使っていたはずだ。とすれば当然、衣は現在よりもずっと、ぼってりとした感じだったろう。
このように「たぬき」の由来は、「きつね」が油揚げとキツネ(稲荷信仰)の因縁でほぼ説明されているのと好対照で、それこそ人を化かしているといえるのかもしれない。