麺類雑学事典
年越しそば
師走にそばといえば、年越しそばにとどめをさすといっていいだろう。江戸時代から定着した食習慣とされ、いまも歳末の風物詩になっている。
年越しそばは、大晦日の夜に行う年越しの行事を総称して年取り、またはお年取りということから「年(歳)取りそば」ともいう。大晦日の夜に吉例として使う塩ブリや塩ザケを「年取り魚」と呼ぶのと同じである。また、大晦日の別称から「大年そば」「大つごもりそば」ともいう。「つごもり」とは 「月ごもり」が詰まった言葉で、月の末の日の意味。
古くから続く食習の起源、由来ははっきりとしないことが多いが、大晦日の夜にそばを食べるという年越しそばも例外ではなく、いくつかの説が伝えられている。
そのうち最も広く知られているのは、そばは細く長くのびることからの縁起説だろう。寿命を延ばし、家運を伸ばしたいという願いがこめられている。
そばは切れやすいことから、一年の苦労や厄災、あるいは借金を断ち切るという意味があるともいわれる。
また、金箔を使う細工師は飛び散った金粉を集める時に練ったそば粉を使う。そこから、そばは金を集めるという縁起で食ベるようになったという説もある。いかにも現世利益が繁盛した江戸時代らしい発想の由来説といえよう。
もっと古い由来もあるが、そば切りがなかった (と考えられる)時代だけに、そば餅やそばがきが由来の元になっている。
たとえば、鎌倉時代に九州博多の承天寺で、年を越せない貧しい人たちにそば餅をふるまったところ、翌年から皆運が向いてきたので、以来「運そば」として大晦日に食べるようになったという説である。
室町時代、関東三長者のひとり増淵民部が、毎年大晦日に無事息災を祝って家人ともどもそばがきを食べたのが始まりとする説では、この時民部の詠んだという次の歌がミソ。
世の中にめでたきものはそばの種 花咲きみのりみかどおさまる
「みかど」とはソバの実の形が三稜角ということ。「三稜」で「みかど」と読むが、 その音は「帝」 に通じるというわけだ。
ところで、以上はあくまで伝承の由来であり、実際にいつ頃から食習慣として行われていたのかは相変わらず不明のままだが、俳人芭蕉の高弟、服部嵐雪の句に、
蕎麦うちて鬢髭白し年の暮れ
というのがある。年の暮とあることから、年越しそばを打つ人の姿を詠んだ句とされている。嵐雪が没したのは宝永4年(1707)。したがって、もしそうだとすれば遅くも元禄(1688~1704) 頃には一般的な習慣だったことになるが、年の暮は年末頃とも取れる。そのため、残念ながら年越しそばの初出とは断言できないそうだが、江戸時代中期には行われていたというのが通説のようだ。