麺類雑学事典
切り麦と麦切り
比較的稀な例だろうが、メニュー に「切り麦」と表示しているそ ばうどん店を見かけることがある。この場合の「切り麦」が、どんな麺を意味しているのかは店によってやや違うようだが、概ね麺の太さによって、ひやむぎかうどんということになるだろう。いずれにしても、原料は小麦粉の麺である。
ところで、さらに稀な例になるが、「切り麦」ではなく「麦切り」という表示に出合うこともある。「麦」と「切り」を上下入れ替えた名称だが、名称が違えば麺自体 も違うわけで、「麦切り」は大麦粉でつくる麺である。麺類の歴史から見てもけっこう古い麹なのだが、意外と知られていない麺でもある。
寛永20年(1643)版『料理物語』は麺の製法を具体的に記した最古の文献とされるが、これには切り麦、麦切りともつくり方が出ている。
まず、切り麦は塩加減、打ち方ともにうどんと同じとなっているが、うどんよりも細く切るものと解釈されている。つゆもうどんと同様に煮抜き、または垂れ味噌で、 いずれも味噌味のつゆ。ただし、薬味は違って、うどんが胡椒と梅干しなのに対して、切り麦の場合は芥子、たで、柚子としている。
一方、麦切りは大麦の粉でつくり、打ち方は切り麦と同じだが、短く切る。また、つゆはそば切りと同じとあるが、そば切りのつゆはうどんと同じとしているから、こちらも煮抜きか垂れ味噌のつゆということになる。薬味はうどん、切り麦とも違い、 そば切りと同じである。すなわち、花がつお、大根おろし、あさつきの類に、芥子、 わさびも加えてよしとする。
さて、わが国では奈良時代から小麦粉の麺があり、室町時代にはそうめんとひやむぎの原型が出来上がっていた。うどんよりも細く、小麦粉でつくる麹が切り麦であり、 これが現在のひやむぎとなったと考えられている。
そういう麺の変革の歴史のどの時点から麦切りが登場したのか。残念ながら、検証する文献は見当たらない。しかし、大麦で 麺をつくるという発想は、決して突飛なことではなかった。なぜなら、わが国では古代から一貫して、大麦が麦の代表だったからである。
小麦は外皮が堅く内部はもろいため粒食できない。そのため、世界中で粉食が普及した。それに対して大麦の場合は、手間はかかるが麦飯として粒食ができる。麦飯が記録に出てくるのは室町時代とされるが、以降、「貧乏人は麦を食え」と公言した首相の時代に至るまで、わが国では小麦よりも大麦が大切に扱われてきた。
そのため、麦湯、麦とろから麦藁帽子、 麦笛などの細工物の名称まで、麦にまつわる言葉のほとんどは大麦にちなんでいる。 しかし、大麦粉でつくる麹(麦切り)はなぜか、麺食の歴史の中で埋もれてしまった。昭和50年代に乾麺が話題になったこ とがあったが、その後の人気はいまひとつのようだ。