麺類雑学事典
ひやむぎ
麺には、手で細く延ばしてつくるものと、麺棒で薄く延ばしてから包丁で細く切るものとがある。前者の代表的なものは手延べそうめんや秋田の稲庭うどん。切る麺といえば、そば、うどん、ひやむぎが挙げられる。
奈良時代の初期、わが国ではすでに、中国から伝えられた索餅(さくべい)(または麦縄)と呼ばれた細い麺が食べられていた。索餅とは、小麦粉と米の粉を練ったもの(米の粉は混ぜていなかったという説もある)を手で延ばしてつくったと考えられる原始的な麺で、そうめんの遠い祖先ともいえる。
以来、わが国の麺は長い間、索餅の延長線上にある手延べの麺だった。現在のそうめんに近い製法の索麺(そうめん)が普及するようになるのは室町時代になってからのことである。
ところで、この室町時代の文献には、もうひとつの新しい麺が登場する。包丁で切ってつくる麺、つまり切り麺である。
現在のところ、麺としてのそば(そば切り)の最も古い記録は戦国時代の天正2年(1574)。うどんは正平7年(1352)の文献にウトムという言葉で記載があるものの、その実態は解明されていない。
しかし、室町時代中期随一の学者、一条兼良が15世紀後半に書いたとされる『尺素往来』には、「索麺は熱蒸、截麦(きりむぎ)は冷濯(ひやしあらい)」 と書かれている。この時代、そうめんは蒸 して熱いところを食べるのが主流だったが、截麦の場合は冷たくして食べるものとされていたことが伺える。 また、15世紀の日記類には、截麦のほか、切麺、切麦、冷麦、冷麺、切冷麺といった言葉がしきりと出てくるようになるという。
室町時代の文献には、食品の名称は出てきても、そのつくり方や形状といった具体的な記述がない。そのため、その実体につ いて断言することはできないが、これらの言葉はすべて切り麺を指すものと考えられている。
いうまでもなく「截」、「切」は「切ってつくる」つくり方を意味する。「冷」は 「冷濯」など、「冷たくして食べる」食べ方を表しているのだろう。しかも、同時代に やはり頻繁に登場するようになるうどんとは明確に区別されている。
うどんとは形状の異なる切り麺であり、 そうめんと並べて論じられるということは、形状はむしろそうめんに近い、つまり細い切り麺ということになる。ちなみに、 「冷麦」の読みは明らかに「ひやむぎ」である。
ただ、この時代には「熱麦」という言葉 も出てくるが、これがそうめんを表すのか、 それとも截麦も熱くして食べることがあったのか、そのへんは不明である。
時代が下って元禄10年の本草書『本朝食鑑』では、うどんは寒い時期のものであり、ひやむぎは暑い時期によいとしている。 この時代すでに、うどんとひやむぎの季節による食べ分けが定着していたのだろうか。