そばの散歩道

麺類雑学事典

うどんとうんどん

江戸時代の麺類屋を描いた絵を見ると、看板や置き行灯などに「うんどん(うんとん)」と書いてあることがよくある。実際、うどんはもともとは「うんどん」と呼ばれていたのだが、いつのまにか「ん」が略されてうどん になったという説も流布されている。しかし、文献上は「うどん」の方が古いようである。

現在のところ、うどんに関する文献で最も古いとされるのは、奈良法隆寺の記録である『嘉元記』で、正平7年(1352)5月10日の記述に、酒の肴としてタカン ナ(たけのこ)、ウトム、フ(麩)が出されたとある。もちろん、この記述だけでは、ウトムがうどんのことなのか、それともほかの食品なのかは断定できない。しかし、 当時の音からすれば、ウトムは「うとん」と読めるわけだし、元禄10年(1697) 刊の『本朝食鑑』でも、温飩と書いて「宇止牟(ウトム)」と訓じている。

この後15世紀になると、日記などに「饂飩」「温飩」「うとん」という言葉が出てくるようになる。15世紀末頃の京都・相国寺の記録『蔭涼軒日録』では、麺を指す場合は「饂飩」と書き、小麦粉を指す場合は「温飩粉」と書き分けているが、ほぼ同時代の『山科家礼記』では、小麦粉のことを、平仮名で「うとんのこ(粉)」と書いている。また、この時代には「烏飩」や「優曇」といった表記も現れるが、これらの読みも「うどん」であろう。

なお「饂飩」という表記は、南北朝時代から室町時代初期の文献である『庭訓往来』に出てくるのだが、実は「饂」という字は中国にはない日本人が作った文字、つまり国字である。

要するに、「饂飩」や「温飩」の読みはもともと「うとん」または「うどん」であり、「うんとん(うんどん)」という読み方は後に起こったものと推定されるわけだ。

先に、江戸時代の絵には「うんどん」とあるといったが、実は江戸時代は「うどん」 と「うんどん」の混用がまかり通った時代であった。はじめてうどんの作り方が書かれた本である『料理物語』(寛永20年・ 1643)では「うどん」としているし、 麺類屋の看板や本の挿絵などでも「うどん」 という表記は以外と多い。

ちなみに、従来、うどんの起源は奈良時代に唐から伝えられた唐菓子の一種である餛飩とする説があった。餛飩の字にはコンとウンの二音があるため、わが国では餛飩と書いてもウンドンと発音したが、餛飩では誤りと分かり、饂の字に書き改めたという説だ。

しかし、餛飩が「長もの」としての麺ではなく、練った小麦粉で細かく刻んだ肉を包んで煮たものということは、平安時代の辞書『倭名類聚鈔』にも書かれている。現在いうところのワンタンに近いものであり、うどんとの直接的な関係はないと考えられている。