そばの散歩道

麺類雑学事典

鴨南蛮

寒い時期の季節そばとして、最近とみに人気が高いのが鴨南蛮だろう。以前は「南蛮」といっても鶏肉を使った鳥(かしわ)南蛮が主流だったが、合鴨肉を入手しやすくなったこともあって、この品書きを売りものにするそば屋が増えているようである。合鴨は年間を通じて流通しており、品質も向上しているから、冬場の季節商品としてだけではなく、年中提供している店も少なくない。

もちろん、鴨南蛮は何もそば独占の品書きというわけではなく、うどん台の種もの としても親しまれている。冬場などはとくに、合鴨肉を具にした鍋焼きうどん風に仕立てても喜ばれるし、この場合でも、ネギは合鴨肉によく合う。もっとも、鍋焼きを鴨南蛮と称するのはどうもしっくりこないけれども、鴨南蛮という言葉を広義に解釈すればそういうことになるという意見もある。 そもそも、この「南蛮」という言葉自体の意味が瞳昧なのである。物の本でよく引き合いに出されるのは、文政13年(1830)自序の随筆『嬉遊笑覧」の「又葱を入るゝを南蛮と云ひ、鴨を加へてかもなんばんと呼ぶ。昔より異風なるものを南蛮と云ふによれり」という一説だが、調理法に ついては述べられていない。

南蛮というのは、古代中国で漢民族が自国(中華)以外の地域の蔑称として用いた「東夷・西戎・南蛮・北狄」のことで、江戸時代のわが国では、南方諸地域およびそれらの地を経由してきたポルトガル人やスペイン人などすべてにこの言葉を使った。その南蛮人たちが(殺菌のためか)好んでネギを食べたことから、転じてネギを入れた料理をも南蛮と称するようになったといわれている。また、同様の意味で唐辛子も南蛮と呼ぶという。

なお、大阪では江戸時代からネギのことを「なんば」と呼び、ことに難波はネギの名産地だったが、このこととの関連は不明である。

そばの品書きとしては、幕末頃の風俗の記録『守貞謾稿』にも出てくるが、説明は「鴨肉と葱を加ふ。冬を専とす」とあるだけである。

さて、鴨南蛮そばを最初に商品化したのは文化年間(1804~18)に江戸馬喰町橋詰にあった「笹屋」というそば屋というのが定説で、『嬉遊笑覧』にも書かれている。ところが、嘉永元年(1848)刊の飲食店案内『江戸名物酒飯手引草』では、同じ馬喰町で「鴨(あなご)南ばん」を看板にしたらしい「伊勢屋」というそば屋が出てくるが、両者の関係は不明である。

ところで、鴨南蛮という品書きがあったことは確かだが、江戸時代末期にどんな肉を使っていたのかもわからない.『守貞謾稿』はただ「鴨肉」としているが、通常は泥臭みのある真鴨ではなくアヒル(家鴨)や雁の肉を使っていたようだ。ただし、一口に家鴨といっても当時からさまざまな交配、改良種があったため、品種の特定ができないのである。