麺類雑学事典
もりそば
そば屋の品書きには通常、冷たいそばと温かいそばとが載っている。温かいそばの場合は、かけそば、天ぷらそば、玉子とじ、鴨(鳥)南蛮など、商品名がほぼ決まっているから、どのそば屋に入っても、客が戸惑うことはないだろう。
ところが、冷たいそばの場合は、話が少々ややこしくなることがある。冷たいそばを指す名称としては一般に、もりそば、ざるそば、せいろの三種類が用いられている。このうち「ざるそば」とは笊に盛ったそば、「せいろ」とは蒸篭に盛ったそばと、名目で解釈すればわかりやすいし、実際、このふたつの名称の起こりは、使う食器の名目によるものである。
では「もりそば」はどうかというと、こちらは同じように片づけるわけにはいかない。たとえば、笊や蒸篭で出すのに「もり」と名付けている店があるからだ。また、どちらも蒸篭に盛るのに、「もり」と「ざる」の二種類を区別している店もある。もちろん、これらの名称に決まりがあるわけではないが、客の立場としてはやはり厄介だ。そして「もり」という名称が生まれたのも、江戸人の戸惑いが始まりだったとされている。
江戸にそば屋の元祖とされる「けんどんそば」が登場したのは寛文年間(1661~73)。いうまでもなく当時は、そばといえば汁をつけて食べるそば切りしかなかった。ところが、しばらく後、汁をそばにかけて冷やがけ(ぶっかけ)にして出す店が現れる。これなら立ちながら食べられるし、店の側でも器がひとつで済むことからたちまち人気になった。新材木町(現・中央区)にあった「信濃屋」というそば屋が元祖とされるが、年代は不明。しかし、元禄5年(1692)の文献に、女はこのような食べ方をしてはいけないと書いてあることから、元禄初期にはかなり広まっていたようだ。ただし「ぶっかけ」という言葉が現れるのは延享元年(1744)とされ、いつ頃からこの呼称があったのかはわからない。
しかし、ぶっかけが流行り始めると、商品名として従来の食べ方との区別がつかなくなる。そこで、汁をつけて食べるそばを「もり」と呼んで、ぶっかけと区別するようになったらしい。安永11年(1773)刊の句集に、ぶっかけともりを詠んだ句が出てくるのが初出とされるから、「もり」という名称は安永以前からあったとも考えられるという。現在の「かけ」は、このぶっかけを略したものだが、こちらが登場するのは寛政6年(1794)で、かなり後になってのことである。
なお、「ざる」は「もり」よりも古く、元祖とされるのは深川洲崎にあった「伊勢屋」。蒸篭や皿ではなく、竹の笊に盛って「ざる」と名乗り、評判になったという。享保20年(1753)の文献で、江戸の名物そばとして紹介されている。ちなみに、海苔かけを称して「ざる」とするのは明治以降のことで、本来は、汁もこくのあるざる汁を用いた。