そばのあいうえお
よ夜鷹そば(よたかそば)
「夜鷹そば」とは、夜そば売りのことだが、いつから呼ばれるようになったか明らかではない。宝暦三年(一七五三年)写本の『反古染』の中に、「元文(一七三六~一七四一年)の頃より夜鷹蕎麦切、其後手打蕎麦切、太平盛り、宝暦の頃、風鈴蕎麦切品々出る」とあり、元文以前であることは確かである。
由来については諸説あるが、本所吉田町や四谷鮫ヶ橋あたりからゴザを抱えて出向き、両国・柳原・呉服橋・護持院ヶ原にたむろして、夜の路傍で客の袖をひいて売春した私娼を江戸語で夜鷹といい、この夜鷹が夜売りのそばを食べたからという説がある。また、夜鷹の花代とそばの値段が同じだったからという説もある。
また私娼とは関係なく、落語家の三遊亭円朝が『月謡萩江一節-萩江露友伝』の中で、「夜鷹そばは夜鷹が食うからではない。お鷹匠の拳の冷えるのに手焙りを供するため、享保年間(一七一六~一七三六年)、往来に出て手当てを致し、其廉(そのかど)を以て蕎麦屋甚兵衛というものが願って出て、お許しになったので夜鷹そばというがナ。夜お鷹匠の手を焙るお鷹そばというのだ」と語り、お鷹そばが転訛して「夜鷹そば」になったという説である。
江戸での夜鷹そばに対し、上方でも真似をしてかつぎ屋台が出たが、こちらはむしろうどんで、夜叫(鳴)うどんといった。
参考文献「そば・うどん百味百題」「蕎麦辞典」「蕎麦の世界」