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そばやうどんにまつわる数字のトリビアをご紹介します。
江戸・明治・大正から連綿と受け継がれる老舗そば屋の系譜を辿り、江戸以来のそば屋の伝統を顧みる。文・岩崎信也(いわさき しんや)
「そば・うどん」に関係するキーワードを五十音順にひとつづつ集めて紹介するミニコラム。
そば屋はまず酒が美味い。一歩踏み込んで、お酒をしっかり楽しみたい、そんな人にお勧めしたいのがそば屋で飲む酒だ
日本人にとって馴染みのある伝統的な料理だからこそ、食べる習慣のない他の国の人にも知ってほしいと思いませんか?
一般社団法人日本麺類業団体連合会・全国麺類生活衛生同業組合連合会が主催する「そばの花観察運動」は、全国の小学校にそばの種子を配布し、授業や家庭で栽培してもらい、写生画を募集、厳正な審査により優秀な作品を描いた子どもに奨学金を贈呈しています。毎年、子どもたちのいきいきとした作品が寄せられています。
かけそば
いま私たちが食べているようなそば(そば切り)は、江戸時代初期に生まれ、もともと汁につけて食べるものでした。元禄(1688~1704年)の頃からか、これを面倒くさがる男たちがそばに汁をかけて食べるようになったといいます。この手軽な食べ方を「ぶっかけそば(かけそば)」と称して売り出したのが、江戸は新材木町にあった「信濃屋」。人足たちが立ったまま食べられるように冷やかけにして出し、寒い季節になるとそばを温め、熱い汁をかけて出しました。これなら器一つですむということで重宝がられ、一般にも大いに広まりました。
きつねそば
薄甘く煮た油揚げをのせるそばが、いわゆる「きつねそば」。油揚げを種に使うそば、江戸時代の文献の中で「信田(しのだ)」という名で見られます。信太山(大阪府和泉市)の森の女狐が安倍保名と結婚して有名な陰明師、安倍晴明を産んだという伝説が名称の由来です。「しのだ」は「篠田」「志乃田」とも書き、現在も「きつね」異称として使われています。ところで、大阪では「きつね」はうどんのメニューを指し、油揚げがのっているそばのことを「たぬき」と呼んでいます。また、地方によっては「稲荷そば」と呼ぶこともあります。
たぬきそば
天ぷらの揚げ玉を散らしたかけそばが、東京でいう「たぬきそば」で、大正時代に生れたといいます。その名称の由来には、その色合いやこってりとした味からイメージされたという説や、揚げ玉とネギ以外に種らしいものが入っていないことから「たねぬき」となり、それが転じて「たぬき」になったとする説があります。また、「はいから」とか「揚げ玉そば」と呼ぶ地方もあります。揚げ玉は「てんかす」「揚げだまり」ともいいますが、かけそばに入れるとパーッと散り広がることから、第一次世界大戦の時代には、時局を反映して「バクダン」とも呼ばれました。
もりそば
江戸の元禄の頃からぶっかけそばがはやるにつれて、それと区別するため、汁につけ食べるそばを「もり」と呼ぶようになりました。これはそばを高く盛りあげる形から生まれた呼び名ですが、その盛りつける器から「せいろ」「皿そば」など、器の名前が転じて呼ばれる場合もあります。「ざるそば」は、江戸中期、深川洲崎にあった「伊勢屋」でそばを竹ざるに盛って出したのが始まりです。「ざるそば」に海苔がかけられるようになったのは明治以後で、当時は専用の「ざる汁」を用いられていました。いまでは「ざる汁」を別に作る店は少なくなっており、海苔の有無だけが「もり」「ざる」の違いとなっているようです。
花巻そば
「花巻」というのは、もみ海苔を散らしたかけそばの雅称です。この名の由来は、材料の浅草海苔が「磯の花」に例えられていたことからきています。花巻そばが生まれたのは、江戸・安永年間(1772~81)の頃とされています。上等の浅草海苔の磯の香りとそばの風味、あぶった海苔が汁に渾然一体となって溶け込んだ何ともいえない味。海苔自体が黒光りした、まさに“磯の花”という優美な趣。この香り、味、そして見た目の美しさの組み合わせの妙味が「花巻そば」の魅力です。そばメニューの中でも、粋な種ものの一つといえましょう。
鴨南蛮そば
「鴨南蛮そば」は、合鴨(マガモとアヒルの雑種)の肉とネギを種にしているかけそばのことです。江戸時代にネギのことを「南蛮」と呼んでいたことが、そのままそば店のメニュー名で受け継がれているのです。では、なぜネギを南蛮と呼ぶのでしょうか。もともと南蛮とは、中国からみて野蛮な地域とされたインドシナなど南海諸国のことをさす言葉で、その影響からか、江戸時代の日本でも南洋の国々を南蛮と呼び、また、その地を経由して来る外国人を南蛮人と呼んでいました。また、南蛮人がネギをよく食べたことから、ネギを南蛮と呼ぶようになったともいわれています。
天ぷらそば
そば店と天ぷら店の天ぷらの違いは、そば店のものは衣が厚くて揚げ置きしている点です。そば店の天ぷらの衣が厚くなったのは、汁を厚い衣によく染み込ませてほどよい味にするためと、味つけのために少々煮込んでもはがれる心配がないようにするためです。また揚げ置きは、油のにおいでそばの風味を壊さないようにするためといわれています。とはいえ、最近は揚げたてで衣も薄め、煮込まないものが一般的になっているようです。ちなみに、温かいかけそばに天ぷらをのせた「天ぷらそば」は江戸時代生まれ、もりそばと天ぷらを組み合わせた「天もり」は昭和生まれのメニューです。
月見そば
温かいそばにぽとりと落とした卵の黄身を月に見たてたのが「月見そば」。卵の白身は、月にかかる雲、海苔が月の光に浮かぶ山、生椎茸や三つ葉で松を表わしています。この月見そばの変わりだねとしては、「むらくもそば」というメニューがあります。熱いそばつゆの中に卵を割り入れ、ほんの少々蒸らしてからそばの上に汁ごとかけるので、普通の月見そばのように満月にはならず、むら雲の間からかすかに月がのぞいているといった風情になります。どちらも詩情豊かな日本人特有の感性が盛り込まれたメニュー。先人たちの粋な遊び心が感じられます。
カレーそば
明治42年、東京のそば店主人が、そばに合うカレー粉を編み出して大阪で売り出したのが最初とされる。ただ、大阪では大いにうけたものの東京ではなかなか支持されず、定着し始めたのは大正13、14年ころになってからのことだったという、また、明治43年には、東京の食料品店がそば店向けのカレー粉を商標登録しているが、それ以前の同40年に、東京・早稲田のそば店が売り出しているともいわれる。「南蛮」とは、江戸時代のネギの別称で、転じてネギを入れた料理を指すようになったという。そのため、伝統的には玉ネギではなくネギを使用する。また、具の肉は鶏肉、豚肉の他、鴨肉なども用いる。
おかめそば
「おかめそば」は幕末の頃、江戸・下谷七軒町にあったそば店「太田庵」が考案した種ものです。名前の由来は、具の並べ方がおかめの面を連想させるところからきています。基本的な具の並べ方は、まず湯葉を蝶型に結んで丼の上部に置きます。これは、娘の髪をかたどるとする説と、両眼に見立てるという説とがあります。鼻はマツタケの薄切りか、三ツ葉を真ん中に置いてなぞらえます。そしてかまぼこを2枚向かい合わせて並べ、下に向かって開くように置いて、おかめの頬のように下ぶくれの形にします。いろいろな具が入っていて、見た目に楽しいメニューです。