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日本酒好きは父譲り オンザロックが一番― 食べ歩きが趣味だとお聞きしていますが…。 光本 趣味というか、食べることは大好きですね。だって生きていく上で、一番興味深いことだと思いません? ― 食に関心をもたれるようになったのは子どものころから? 光本 小学生まではすごく食が細くて、一膳のご飯を30分くらいかけて食べていたそうです。でも父が口の肥えた人で、小さいときからおいしいものを食べにレストランや料亭へ連れて行ってもらいました。
― お父様は東京の方ですか。 光本 関西です。日本酒をお燗して飲むのが好きで、それを父の膝の上でペロペロなめていたらしいんですよ。昔のお酒はまったりしていたでしょ。それで、私も日本酒が好きになったのかもしれませんね(笑)。 ― じゃあ、冷やよりもお燗が? 光本 私はオンザロックが好きです。そんな飲み方は邪道だって言われるんですけどね。でも、ある杜氏さんから「うまい酒はどうやって飲んでもおいしい」と言われて、安心しました。 ― 毎晩飲まれるのですか。 光本 さぁ〜うふふ(笑)。うちは柳橋(東京・台東区)で料亭をしていましたから、女性が酔う姿を見かけては、「ああいうのは良くないな」「酒は飲んでも、飲まれるな」って思っていたんです。それを日本酒大好きの佐々木久子先生に話すと、「あんたバカね、お酒は酔うために飲むのよ」って。佐々木先生は豪快に飲まれますけど、娘時代はそうはいきませんからね。 ― 芸能界の始まりは新派ですか。 光本 そうです。叔母の踊りのお師匠さんがよく出稽古に来ていて、4歳のときから一緒にお稽古していました。父の影響で清元を習い、常磐津はやるは俗曲はやるは、生意気な小学生だったんです。母が大変な芝居好きで、新派をはじめ新国劇、歌舞伎にもよく観に行きました。 ― 新派の初代水谷八重子さんに弟子入りされたのは…。 光本 12歳です。母の知人の紹介で楽屋に連れて行ってもらったとき、「来月芝居の中で踊る場があるけど出てみる?」と言われて、思わず「はい」って。それからしばらくしてお芝居に出ることになったんです。 ― 確か、「望郷の歌」。 光本 お芝居なんて初めてでしたが、台詞の掛け合いなどは子どものときから喜んでやっていましたから。それでギャラをいただいたんです、3000円。今でも覚えています。昭和30年5月、明治座の舞台でした。 ― 相当な額ですよ。 光本 小学6年生でしたから価値観はわかりませんが、踊りを踊ってお金をいただけるなんて、これは一生懸命やらなければと思いましたね。
― 寅さんの初代マドンナになられたのは人気絶頂期でしたね。 光本 プロデューサーからいきなり、「次は映画をやりましょう」と言われて、でも、監督に会ったこともないし、なぜ私が? いろいろ考えて、ハッと気づいたんです。演舞場で芝居をやっていたとき、観客席の一番後ろの監事室から双眼鏡で見ている人がいたんですね。感じ悪いなと思ってそっちを見ると、パタっと扉が降りるんですよ ― それが山田監督だった? 光本 ええ、後になってその話でよく笑ったものです。 お寿司なら1日3度食べてもいい― 食べ物の話に戻りますが、特にお好きなものは? 光本 やはり和食が一番ですね。 ― 味付けは関東風ですか。関西風? 光本 両方なんです。父は関西、母はお江戸、ですから、私はハーフって言ってます。そして、結婚した男性が関西でしょ。 ― 料理はされますか。 光本 一応、主婦をやっておりましたから。でも、お正月に関西と関東のお雑煮をつくるくらいしか自慢できるものはないですね。今は主婦を卒業しましたから、ほとんどここ(御酒処 賀茂鶴)で食べています(笑)。
― 麺類はいかがですか。 光本 ラーメンも好きです。ずっと東京の醤油味しか食べなかったんですけど、博多座近くに仲良しの店ができて、よく食べに行きました。とんこつスープがあんなにあっさりしているなんて思いませんでした。ふぐも好きだし、やきとりも好きだし……。 ― 僕はスパゲティが好きで、1日3食、食べてもいい。 光本 私は3度食べてもいいものだったら、お寿司ですね。一番シンプルで、ある意味、一番怖いでしょ。素材の善し悪しがはっきりわかりますからね。 ― 佐々木久子さんの後を継いで、広島の地酒「五大天を楽しむ会」の会長になられたそうですね。 光本 会長だなんて……。みなさんと楽しくお酒を飲む会ですよ。年に1回、5月の第3土曜にやっていますから、ぜひご一緒にいかがですか。 (09年2月5日 「御酒処 賀茂鶴」(東京・人形町)にて収録)撮影:STUDIO MAX 高橋昌嗣 |
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