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酒とヤクは毎日欠かせない― かなり酒は強そうですが、いつごろから? 大澤 大学ですね。早稲田では最初の洗礼がお酒ですから。入学して司法受験サークルの見学に行ったら早速、酒のつまみを買いに行かされました。戻ると、「今から燗をつけるから」と、一升瓶から一合用のガラス瓶に移し替える修業をさせられて……。温めると、ちょっとの具合であふれちゃうから、その塩梅が難しい。上階では授業をやっているのに、先輩たちは真っ昼間から酒盛り。とんでもないよね。 ― どのくらい飲まれるのですか。 大澤 一番飲んだのは、司法修習生のころ。ビール大瓶1ダース、日本酒一升、ブランデーを3分の2まで飲んだところで怖くなってやめました。家に帰ったらぶっ倒れて、急性アルコール中毒で入院しました。近くに病院があってよかった。自分で這って行ったんですから(笑)。 ― 好きな酒は? 大澤 日本酒だね! だけど、東京から宮崎地検に行ったとき、店で「お酒ください」と言ったら出てきたのが焼酎だった。「こんなもの飲めるか」と思ったけど、すぐ慣れちゃった。 ― つまみは食べますか。 大澤 最初は食べなかった。医者から、「君は警戒信号が出ない体質だから、いくらでも飲める。死にたくなかったらつまみを食べなさい」って言われて。それ以来、食べながら飲むようになりました。 ― 肝臓が強いんですね。 大澤 普通です。ただ、痛風持ちなんですよね。 ― お酒はよくないのでは? 大澤 だから、毎日薬を飲んでいます。もともと尿酸値が高いと言われていたのですが、甘く考えすぎていた。ある日、テニスをした後にビールを大量に飲んだら、その晩、いきなりきた。猛烈な痛さに、うめくことも、声を出すこともできなくてね……。あの痛さは懲り懲りですから、一日も欠かさない。手元になくなると、「ヤク(薬)が切れた」ってスタッフに買いに行かせます(笑)。 子どものころ家に製麺機があった
― めん類はいかがですか? 大澤 好きですよ。僕たちが子どものころは、各家庭でそばと称するうどんをよくつくっていました。お祝い事や法事などがあると、締めは必ずそばだった。 ― ほほう。 大澤 各家庭に製麺機がありましてね。うどんは小麦粉でつくりますが、昔は貧しかったから、小麦粉に増量剤としてそば粉を足していた。それを、そばと称して食べていたわけ。本来はうどんなんだよ。 ― ふだんの昼食はどんなものを食べますか。 大澤 弁護士会館の地下にあるそば屋によく行きます。ラーメンも好きですよ。ずっと醤油派でしたが、宮崎でとんこつ味を食べて、最初は「こんなの食えるか」と思ったけど、不思議なもので、焼酎と一緒に食うと、これがまたうまいんだ。 ― 料理はされますか。 大澤 検事時代はやりましたね。かみさんが切迫流産になってしまったから、毎日早起きして掃除して、三度の食事もつくって食べさせました。昼は検察庁から戻ってね。 ― 大したものですね。 大澤 やむなくですよ。でも、料理本を見ながらやっているうちに結構、面白くなって。天ぷらも、衣をわざわざ氷で冷やしたり、本格的につくりましたよ。 オウム事件以来日本人の意識が変わった― コメンテーターになってどのくらいになりますか。 大澤 来年で30年です。
― 最初の出演は? 大澤 川崎敬三さん司会の「アフタヌーンショー」。海老名香葉子さんと一緒に、身の上相談をやっていました。 ― この30年で、世の中は変わったと思いますか。 大澤 変わりましたね。象徴的にはオウム事件以降、日本人はすっかり変わってしまった。 ― どんなふうに? 大澤 何でもありになりました。例えば、親を殺すなんて、昔は重罪だったのに、そういう意識がない。今の事件感覚からいえば、裁判所も含めて、家族を殺す、親を殺し、子どもを殺すというのは、一般の他人を殺すより軽いんですよ。 ― どうしてでしょう? 大澤 家庭内における、家庭内暴力の延長程度の認識なんですね。法律家として、これは日本の法制度が変わったことも一因だと思っています。昭和22年、家族法の改正で、これまでの家制度を廃止したんです。昔は、家の名誉のためにとか、何々家の名を挙げるためにとか、そういうことを大事にしてきた。倫理観も強く、親は子どもたちに、個人の存在を越えた価値があることを教え続けてきました。「ご先祖様に対して恥ずかしいことをしてはダメだ」と。ところが今は、大切なのは自分だけ。個性こそ大事で、親はもちろん、子どもすら関係ない―という感覚がいきつくところまできているんじゃないかな。 (08年7月3日大澤孝征法律事務所にて収録)STUDIO MAX 高橋昌嗣 |
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