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読んだそばから…


灰谷健次郎『兎の目』より“かけうどん”


イラスト 昭和30〜40年代の高度成長時代、華々しい生産活動と美徳とされた消費(浪費)行動の終着駅は塵芥(じんかい)処理所。処理所の末端労働者は所内に住み、そこから通学する子どもは、ゴミ屋とかバタ屋とかからかわれる。実際、身なりもきたないし、言葉遣いも悪い。ハエを飼っている子もいれば、こじきのまねをして給食のパンを友だちからもらっている子もいる。

教え子たちの残忍とも思える行為に自信を失った新任女教師・小谷先生は、学生時代に通った寺を訪ねる。そこにある善財童子という彫刻を見るのが好きだったからだ。
『あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。』

『とつぜん、なんのつながりもないのに、高校時代の恩師のことばが思い出された。その教師は生徒たちから東大ボケといってバカにされていた。まるで風さいのあがらないことや昼休みにきまって貧乏ゆすりをしながら、かけうどんをたべることなどが、バカにされる材料だったようである。』
その東大ボケ先生は、授業中にふといった。『「人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ、みなさん。人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません」』

小谷先生はそのことばとともに、処理所の子どもたちを思いだした。そして、彼らのやさしさや意志の強さ、生きることへの真剣さを思った。
“かけうどん”あるいは“うどんかけ”は、大阪方面では“素うどん”とも呼ばれている。安物の代名詞のように使われることもあるが、うどん本来の味が楽しめる。「そばは“もり”、うどんは”かけ”に限る」という人もいるほどだ。
風采(ふうさい)の上がらない恩師だったが、モノの本質を見抜く眼はもっていたようだ。


 

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