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読んだそばから…


泉 鏡花『売色鴨南蛮』より “出前”


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純粋なもの、無垢なものを求めて人生の故郷ともいうべき少年時代を志向するのは、浪漫主義の性格の一つである。この作品は、のちに医学博士になる主人公・秦宗吉の医学生時代ころを中心とした小説だが、中年に達した作者が、十七歳で上京し頼りのいない東京で転々と過ごした悲惨な少年時代をもとに書いたものとされている。

宗吉は、命の恩人となるお干という“囲われ者”の住まいの近くの長屋で寝起きしていたが、空腹を通りこして、ひもじい朝を迎えていた。『妾宅では、前の晩、宵に一度、てんどんのお誂(あつら)え、夜中一時頃に蕎麦の出前が、芬(ぷん)と枕頭(まくらもと)を匂って露地を入ったことを知っているので、行けば何かあるだろう…』

出前持ちは“かつぎ”とも呼ばれ、店内の接客係の“花番”に対して“外番”といわれている。外番は、そばがのびないうちに客先へ届けるのが役目だから若い者の務めになる。職制のうえでも新入りがする仕事とされてきたが、現在では人手不足のためもあって、店の主人が出前する光景も当たり前となった。

出前膳の上に山と積まれたせいろや丼を時に応じて「手持ち」や「肩持ち」で運ぶのは特殊技能といえよう。手持ちは親指、人さし指、小指の三本で膳を支え、中指と薬指は内側へ折り曲げて膳の調節をする。肩かけは膳を肩にたくし、手で調子をとる方法だが、せいろを何十枚も乗せて自転車をこぐ姿は、まさに職人を思わせるものだった。

この出前方法も交通事情の変化から禁止され、バイクの荷台などに取り付ける出前機が現在主流となっている。
それにしても、明治二十年代の東京では夜中にも営業をし、出前までしていたというのは、時代の流れを感じさせる。関東大震災以前の東京では、夜中まで営業している飲食店は、そば屋くらいであったという。



 

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