そばの散歩道トップページへ
読んだそばから…


第7回 織田作之助 『世相』より“夜鳴きうどん”


イラスト

大阪の庶民生活を描いた織田作之助の作品には、代表作『夫婦善哉』をはじめとして、うまいもん屋≠ェ数多く登場する。天ぷら、ドテ焼、どじょう汁、まむし、関東煮…食い倒れの街−大阪を表現するにはどうしても、うまいもん屋を登場させざるをえなかったのかもしれない。
戦争直後に発表され、作之助の流行作家として地位を確定的にしたとされる『世相』は、表題のとおり戦中の世相を主題とした作品だが、これにもいくつかのうまいもん屋が登場する。

『天辰の主人は四国の生まれだが、家が貧しい上に十二の歳に両親を亡くしたので、早くから大阪へ出て来て、随分苦労した。十八の歳に下寺町の坂道で氷饅頭を売ったことがあるが、資本はまるきり無かった故大工の使う鉋の古いので氷をかいて欠けた茶碗に入れ、氷饅頭を作ったこともある。冷やし飴も売り、夜泣きうどんの屋台も引いた。競馬場へ巻寿司を売りに行ったこともある。夜店で一銭天麩羅も売った』

うまいもん屋の一つ、夜泣(鳴)きうどんや江戸(東京)でいう夜鷹そばは、夜そば売りと総称されるが、夜売りの屋台は延宝四年(一六七六)に京都で始められたという。夜に声を出して触れ売りするところから、夜叫(鳴)き≠ニ呼ばれるようになった。当初は冬期に限定されていたが、いっさいの見世(店)が四つ(午後十時ごろ)に戸を閉めなければならなかった事情もあり、夜中に食べさせてくれる夜鳴き≠ヘ、年間を通じての庶民の外食として定着していった。

江戸末期の大阪の夜鳴きで流行したのが「鍋焼きうどん」。土鍋のふたを取ると汁がぐつぐつとわき立っていて、フウフウ吹きながら熱々のところを食べるのは、冬の戸外では一番のごちそうだ。その人気が東京に波及したのは明治六〜七年ごろという。

 

読んだそばから…メニューへ 読んだそばから…メニューへ トップページへ トップページへ

お問い合わせはこちら お問い合わせはこちら
copyright(c)1998-2007(社)日本麺類業団体連合会/全国麺類生活衛生同業組合連合会