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二八そば

めんの数字あれこれ

いま一般にそば屋などで使われる「二八そば」は、そば粉八割、小麦粉二割の意味。つまり配合割合を指すというのが常識だろう。同時にこの言葉には「江戸流のそば」という意味も込められている。

この「二八」がそば史に登場するのは享保年間(1716〜36年)半ばというのが定説。しかし、二八が何を意味するのか、その解釈をめぐっては江戸時代からいろいろな考証があるのだが、いまもって結論が出ていない。通常は、一杯の値段を表すとする代価説と配合割合説との二つに分かれる。

代価説の根拠は、江戸時代後期のそば一杯の値段が概ね一六文だったことだ。掛け算の九九で「二八が一六」というわけである。寛政三年(1791)には、従来の一六文が一四文に、一二文が一〇文に一時的に値下げされているが、この時そば屋の看板は、二八が二七に、二六が二五に書き換えられたという記録もある。

ところが、肝心の享保年間のそばの値段は七〜八文で、明和(1764〜74年)の頃は一二文。となると、単純に九九で割り切るわけにはいかなくなる。

一方、配合割合説の問題は、二八のほかに二六、一八、三四という呼び名もあったことだ。しかも、そばだけでなく、二八うどん、二六うどんまで出てくるから収拾がつかなくなってしまう。結局、この配合割合説がすんなり成り立つのは、そばの値段が、長く続いた一六文から値上げされて、二〇文を超えた慶応年間(1865〜68年)以降のことで、それが現在にまで受け継がれているようである。




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