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そばの史跡探訪
 

●東京都
柴又蕎麦地蔵(葛飾区)



柴又蕎麦地蔵 そばのせいろうを前に置いた地蔵様があるというので、葛飾区柴又に足を運んだ。資料によると、この地蔵尊は、中興聖人源珍僧都(げんちんそうづ)というお方だ。源珍僧都は高野山に入山したが、高野山の大火にあって本堂全焼を見、その復興勧進のため薬師如来を背に全国行脚に旅立った。

四国山中で歩行困難の病(脚気)に倒れたが、村人より一体の恵比寿天像をいただいた。薬師如来と恵比寿天の霊感により、村人から布施としてもらったそば粉を携えて山中にこもり、二一日間の修行を行い、万願の日に谷間に下りてそば練りをつくろうとしたとき、水底を見ると金色に光る物を発見した。

そば粉に砂金がついていたのだが、大いに驚いて「恵比須天にそばを奉るはかかる効力ある故ならん」と喜び、病も癒えて再び行脚をはじめた。そして「そばを食するものは命長く、脚気に病める者癒え、商人においては恵比須天を祀り、そばを供えて礼拝すれば商売繁昌に成る」と説き、「みそかにそばを食し、かけとりに行かば金銭意の如く集まる」と唱え、多くの人を救ったという。

源珍僧都はのちに関東に下り、当地に無住寺(住職のいない寺)を見つけ、薬王山医王寺として開山した。代々の住職はその偉業を尊び、伝承し、昭和十一年に地蔵尊として境内に安置した。昭和十九年、戦災により本堂が消失したが、戦後、東京の麺類組合(支部)の協賛によって復興した。

麺類業者と深い関係のある医王寺だが、住職の高橋博道師は、「以前はお参りに来たり、そばを供えた人も多かったが、代替わりしたためか、最近は一人も来なくなった」と憤慨の様子だった。

そのせいだろうか、住職からいただいたリーフレットの写真では屋根つきの立派なお社に収まっていた地蔵尊も、いまは境内の片隅に追いやられていた。周囲の草木も生え放題。日頃の不信心のおわびと少しでも写真写りがよいように、掃除をしてシャッターを切ったのだが……。


 

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