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そばの史跡探訪
 

●東京都
『東京都・そば禁制の石碑』



そば禁制の石碑 中野からさらに西に進んだ。めざすは烏山にある称往院。そば店の名称に多い「庵」のルーツとして名高い道光庵があった寺だ。道光庵の信州生まれの庵主が打つそばがたいそう評判になり、寺だかそば屋だか分からなくなるほど繁盛し、それにあやかろうと、屋号に「庵」をつけるそば屋が現れた。

ところが、親寺である称往院で毎日行われる勤行を怠るようになったため、天明六年(一七八六)、門前にそば禁制の石碑が建てられ、そば党が追い払われた。その石碑のある称往院は、現在、世田谷区北烏山にある。番地でいうと北烏山五丁目だが、烏山寺町とも呼ばれている。関東大震災で被害にあったり、震災復興のための区画整理のために二二の寺が大正十三年から昭和四年にかけて当地に移転し、現在は二六寺が集まっているためだ。

寺町のメインストリートに面している称往院も昭和二年に浅草から移転してきたが、移転工事の際、安政二年(一八五五)の大地震で倒れ、地中に埋もれていたこの石碑が発見され、現地に引っ越してきた。門前にある石碑の右側面には「不許蕎麦地中製之而乱当院之清規故入境内」と記されてあり、寺内でそばを打ち当院の規律を乱すゆえ、そばが境内に入るを許さない、と禁止の理由を記している。


 

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