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そばの史跡探訪
 

●長野県
本山宿 (塩尻市)


中山道の木曽路、馬籠から北へ洗馬へ行く途中で、塩尻の西南に当たる。蕉門十哲の一人森川許六編の俳文集『風俗文選』(宝永三年・一七〇六)収録の雲鈴作『蕎麦切ノ頌(しょう)』では、ここをそば切りの発祥の地としている。



贄川宿 (木曽郡楢川村)

本山宿から少し木曽方面に南下したところにある。堀杏庵が寛永十三年(一六三六)に中山道を旅したことを日記風にまとめた『中山日録』に「贄川宿でそば切りを、大根の絞り汁にたれみそを少し加え味を整え、鰹節の粉やねぎやにらを薬味に添えてその汁で食べた」ことを記している。そばの食べ方を記した最古の記録。



定勝寺文書(木曽郡大桑村)

定勝寺(じょうしょうじ)は臨済宗妙心寺派に属する名刹で、木曽福島からさらに南に下ったところにある。天正二年(一五七四)の仏殿の修理工事の際、そば切りを振る舞ったという記述があり、これはそば切りの最古の記録。

 

芭蕉の句碑(松本市)

同市郊外に〈蕎麦はまだ花でもてなす山路哉〉の句碑がある。また、長野市篠ノ井の鳥坂峠にも同句(ただしここでは〈山路かな〉)の石碑がある。芭蕉の菩提寺である萬寿寺(三重県伊賀町)にあるのは〈山路かな〉。



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