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お宝拝見

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 ●所蔵/一茶庵本店(栃木県足利市)
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母の打つ姿にひかれて

栃木県足利市柳原町に『一茶庵本店』がある。店は大通りから中に入り、駐車のスペースをとって、さっぱりした造りのおそば屋さんである。移転して、屋根も、柱も、壁も新しい。木が香っている。
主人は片倉敏雄さん。二代目である。初代は片倉康雄翁。一茶庵の総師であり、そば名人といわれた。友蕎子と号したが、これは江戸時代の名著『蕎麦全書』の著者にあやかったもの。平成七年、九一歳で人生の幕を閉じたが、一茶庵系は実力集団として直系の弟子から孫、ひ孫へとすそ野を広げ、教えを伝えている。
『一茶庵本店』の店とは別に友蕎亭の建物がある。片倉康雄記念室である。五畳のこじんまりした一室だが、ゆかりのそば道具、塗物、焼物、家具、掛物、書籍などが展示されている。翁が住んでいた太田市の住宅などにも残っていて、まだ整理がついていないものがあるらしいが、おそばを扱う人たちにとってはまぶしいばかりの物である。

その中から今回は麺棒である。平成五年ごろ、晩年の作という。木曽檜を使い、職人さんにつくってもらったが、最後の仕上げは本人が入念にやった。仕上げはくるみをくだいて布に包んで、おからを布に包んで、あるいはとくさで磨いた。
こだわったのは四面にマサ目が通っていること。それ以外はダメだった。素材は十分枯らしたもので、数多くの中から自分の目で確かめて選んだ。敏雄さんが持ち出したのし棒、まき棒で、それぞれ一メートルくらい、一メートル一〇センチくらいの長さ。この麺棒は敏雄さんが使っており、翁自身はつくっただけで、使用はしなかった。というのも六五歳くらいになってからはほとんど麺を打たなかったからだ。「おまえ、使え」といって、息子に手渡したそうだ。いま、『一茶庵本店』で出されるそばは、敏雄さんと息子さんが朝早くから打ったものだが、延ばして、まいて、精魂こめるのは、友蕎子作の麺棒を通してである。

片倉康雄翁がなぜおそば屋さんになったのか。母の打つそばに根源があるらしい。『片倉康雄手打そばの技術』(旭屋出版)の中で「転業にあたって、なぜそば屋を選んだのか。それは―つまり、私がそば屋になったのは、母親の打つそばに惹かれてのことだった」。生家は農家だったが、お母さんは姑から受け継いだ一本の麺棒で細いそばを打つのを得意とし、村でも評判だった。あるいは麺棒の記憶が生涯続いていたのかもしれない。
岩崎信也著『片倉康雄伝―蕎麦と生きる』(柴田書店刊)には麺棒の場合、「都合二十二年のねかし期間が不可欠」で「ここまで枯らし抜けば寸分の狂いなくしかも使いやすく」とある。厳密さは徹底している。

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