そばの散歩道お宝拝見メニューへトップページへ
お宝拝見


和とじの本「蕎麦志」
 ●所蔵/晦庵河道屋(京都府京都市)



和とじの本「蕎麦志」

 
明治二八年、そばの集大成
 
平安遷都とともに、というのだから古い。桓武天皇にさかのぼり、いまでも五月一七日(桓武天皇命日)に比叡山延暦寺で厳修される天皇御講には、店の主人が登山して、手打ちのそばを献供する。『河道屋』は蕎麦ぼうろでも有名だが、晦庵が生そば、姉小路本店が蕎麦ぼうろと分かれている。晦庵は、先代が隠居仕事にそば打ちを楽しもうと建てたもの。小さな門がひっそりと建っていて、気をつけないと行き過ぎることがある。しかし、中に入ると奥行きは深く、茶室があってしっとりと落ち着く。
「蕎麦志」は平安遷都一一〇〇年の年、明治二八年に、当主の植田武則、康平の父子が著わしたもの。武則は「文人そば屋」といわれるほど、筆が立ち、知識欲があり、作家、画家などとの交際が広かった。昭和一〇年、京都でおそば屋さんの大会があり、同七年に再販して同業に配ったこともある。和とじの製本で、冒頭には写真が三枚。一枚は延ばしたねり粉を包丁で切っているところ。同業者らしい人たちが熱心に見つめている。
目次をみると第一にはじまり第十まで。著者自身の書き下ろしでは、「そば産地第三」が興味深い。現代語に直して引用すると、「信濃国産出高多く、更科、埴科を最上とする」「武蔵国多摩郡で多く産する。それは深大寺蕎麦の名がある。近頃では箱根ヶ崎、及び村山あたりで夏蕎麦が獲れる。北豊嶋、新座の両郡の産もまた良質である」以下上総、常陸、下総などと続き、「丹波国北桑田郡の弓削、中村、宇津の産が最上である」『河道屋』では弓削から入れていた。
一五代目の植田正夫さんは「平成元年に再々版を出し、花房英樹京都府立大学名誉教授に解説をつけてもらいました。和とじの職人さんが一人になったものですから」という。中身も、とじも貴重である。



お宝拝見メニューへ お宝拝見メニューへ トップページへ トップページへ

お問い合わせはこちら お問い合わせはこちら
copyright(c)1998-2007(社)日本麺類業団体連合会/全国麺類生活衛生同業組合連合会