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お宝拝見


雛そば用蒸篭
 ●所蔵/巴町砂場(東京都港区)



雛そば用蒸篭

 
弥生三月、雛そばに用いた華やかな五段蒸篭
 
『巴町砂場』のルーツは、大阪新町にあった『砂場和泉屋』。今から三〇〇年も前になる享保年間の「摂津名所図絵」に、その『砂場和泉屋』が描かれている。その絵から、同店の繁盛ぶりと、当時、そばが蒸篭で蒸されていたことがわかる。
江戸時代の当初のそばは、そば粉一〇〇パーセントのそばで切れやすかったため、「蒸篭」で蒸す「蒸しそば」が一般的だった。蒸篭は、「蒸す」こと第一の実用本位。木竹の素材そのままの素朴なものだった。やがて、つなぎの使用でそばが切れにくくなり、そばを茹でるようになると、蒸篭の役割も「蒸す」道具から「盛る」器に変わった。すると、朱塗、金・銀箔などの工夫を凝らしたものも作られるようになった。写真の蒸篭も、蔦模様の漆塗、しかも五段重箱風という豪華なもの。この蒸篭は、雛そばに用いられたという。
雛そばとは、三月三日の雛祭りに、そばをお雛様にお供えし食した風習だ。江戸では、雛祭りの終わった三月四日に、女子の幸せと子孫繁栄を願って、仕舞いそばとして食べた。本来、雛そばは、菱餅と同じく三色、赤・白・緑の三重だったらしい。江戸文化が爛熟し、雛祭りが華美になるにしたがって、色が増え、五色の五重となった。下の蒸篭から、白「さらし」・赤「えび」・緑「よもぎ」・黒「のり」・黄「たまご」の変わりそばが盛られたという。
お重風の五段蒸篭に盛られた美しい雛そば。それは、太平の江戸の雛祭りのお祝いを、この上なく優雅に彩ったことだろう。まさに、目と舌と心の贅を尽くした美習だったといえよう。
※蒸篭、徳利、湯桶、ともに江戸時代後期のもの。



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