《連載》虎視眈々 片山虎之助の眼

日本麺類業団体連合会が発行する冊子『麺』の随筆です。

価格は高めでも
常連客に好評な理由


第八十六回 片山虎之介

神戸市の中心街、元町の駅近くにある『手打そば処 卓』は、24席の小体な店だが、近隣では有名な繁盛店だ。蕎麦の値段は安くはないが、昼夜ともに笑顔の客で席は埋まる。

その理由を、主人の後藤 卓さんは、次のように語る。

「気をつけているのは、自分のやりたいことを、お客様に押し付けないということです。店を始めた当初は、蕎麦につなぎを入れずに打っていました。しかし生粉打ちだと、蕎麦粉の状態によっては、つながりにくい蕎麦になります。私は、短く切れても味が良ければ大丈夫と思っていたのですが、お客様には、短く切れた蕎麦は不評だったのです」

現在、後藤さんは、蕎麦粉の状態を見ながら、外一ぐらいの割合で、つなぎを入れる。それでもつなぎによる食感への影響を、なるべく抑え、蕎麦本来の味わいを生かすために、小麦粉は薄力粉を使っている。

「お客様の気持ちになって考えるという意味では、売り切れ仕舞いにならないことも大切だと思います。何事も自分の都合でやらずに、お客様のご意見をうかがうようにしています」

そうした日々の努力の積み重ねが、客とのきずなを強めている。

常連客から予約の電話で、「きょう行くから、肉を焼いて」とか、メニューにない注文が入ることもあるが、それも裏メニューのつもりで、できるだけ対応するようにしている。

客の要望を聞くことで、店のメニューにも好ましい変化が起きている。

たとえば、春だけメニューにのせている「春のおかめそば」は、常連客のリクエストに応えて作った商品だ。

女性客からの提案で、蕎麦は、全体にシンプルなメニューが多いから、いろいろな具材の乗った楽しいメニューを作って欲しいというものだった。早速、食材を工夫して作ったところ、これが好評を博した。今では「春のおかめそば」は人気メニューとなり、毎年、春の季節には、これを楽しみに訪れる客も多い。

材料の玄ソバや丸抜きは、福井県や長野県、北海道などの産地から直接仕入れ、店内の石臼で自家製粉している。

季節により、また仕入先によっても刻々と変化する蕎麦粉を、一貫して『手打そば処 卓』の味に仕上げるのは、後藤さんの並々ならぬ技術があればこそ、できることだ。

蕎麦打ちの技は、京都の名店『有喜屋』で修行して習得した。

『手打そば処 卓』の魅力をもうひとつ挙げると、ここは関西には珍しく、昼間から酒を飲める店ということだ。関東では、蕎麦屋酒は、当たり前のように定着しているが、関西ではまだ少ない。同店が交通の便の良い市街地に立地していることもあり、蕎麦屋酒の楽しさを、多くの客が満喫しているようだ。

客にとっては、ツボを心得た楽しみがいっぱい詰まった、また行きたくなる店であるに違いない。


手打そば処 卓
兵庫県神戸市中央区元町通4─5─6
電話 078─351─7981

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