《連載》虎視眈々 片山虎之助の眼

日本麺類業団体連合会が発行する冊子『麺』の随筆です。

遠方から常連が通う
高級蕎麦屋の魅力


第五十回 片山虎之介

蕎麦というのは、不思議な食べ物だ。

どんなへんぴな場所に店があろうとも、「おいしい蕎麦がある」という話が広まると、遠路もいとわず、多くの客が来てくれる。

蕎麦屋以外の店では、こういうわけにはいかない。蕎麦には多くの人の魂を引き寄せる、何か特別な魅力があるのだろう。

さて、兵庫県篠山市の丸山という地域に、蕎麦店『ろあん松田』がある。市街地から細々とのびてきた国道544号線は、『ろあん松田』を過ぎたところで、山に突き当たって行き止まりとなる。

通りがかりの客など、ひとりもいない。この道をここまでやって来る人は、『ろあん松田』を目指して来る客だけだ。山菜採りなどの目的で、山に入る人は別にしてだが。

この店の駐車場には、神戸ナンバーのアウディとか、大阪から来たBMWなど、高級車がずらりと並ぶ。おいしい蕎麦なら、少々高くてもかまわない。そういう価値観の客で、『ろあん松田』は満席になる。

人気メニューは昼食用のコース「蕎麦ひとそろえ」、6000円。予約が必要だ。

供される料理は、焼き野菜、季節の盛りあわせ、蕎麦三種、冷製の蒸し野菜、香の物、菓子などが含まれる。

季節や仕入れの状態によって内容は変わるが、取材した日は「すいかのジュース」に始まり、20種類近い地元の野菜を使った「季節の野菜」など、個性的な料理が次々に運ばれてきた。

メインの蕎麦は3種類で「盛り」と「ひやがけ」、「おろし」が、他の料理を間に挟みながら運ばれてくる。

いずれも美しくデザインされた蕎麦だ。透明感のある麺線には艶があり、優美にくねる細身の蕎麦には、琥珀色のホシがアクセントとして散らばる。

手繰れば粗挽きの粒子がザラリと舌を撫で、豊かな風味が口中に広がる。見た目の印象そのままの、清々しい蕎麦の食味を堪能できる。

たしかに、この店の料理は魅力的だ。だが、単に料理がうまいというだけなら、満足のいく店は、神戸にも大阪にも、いくらでもあるだろう。長時間、車を走らせて、『ろあん松田』に通う客が少なくない理由は、どう説明したらいいのだろうか。

二時間ほどかけて食事を終え、ご主人の松田文武さんや奥さん、息子さんたちにお礼を言って店をあとにする。

車を走らせ、やがて国道544線沿いに、ポツポツと民家が並び始めたころになって、ようやくその理由が見えてきたような気がした。

また戻りたいのだ、あの店に。

店内には至福の時間が流れていた。インテリアや接客や、料理や会話というツールを使って、日常の生活の中にはない、特別の時間というものを、『ろあん松田』は、用意してくれていた。

人に人格があるように、店にも「店格」といえるようなものがあり、その魅力が、あの店に人を引き寄せる理由になっているように思える。

主人や家族、従業員、そして蕎麦を栽培してくれた生産者の思いも含めて、多くの人の温かくて一途な「気持ち」が、店を支え、店の格を作るのだと思う。

それがどのような感覚なのか、言葉で説明するのは難しい。

知りたい人は『ろあん松田』を訪ねて、店の人たちと、ひとときの至福の時を共有すれば、自分自身の皮膚感覚として、それは理解できるに違いない。


ろあん松田(予約制)
兵庫県篠山市丸山154
電話 079─552─7755

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