《連載》虎視眈々 片山虎之助の眼

日本麺類業団体連合会が発行する冊子『麺』の随筆です。

老舗に受け継がれる
革新の心意気


第二十八回 片山虎之介

靖国通りから小路を入り、喧噪が遠のいた一角に『かんだやぶそば』がある。蕎麦好きなら、その名を知らないものはない老舗蕎麦店だ。

ビルの間に立つ、古風な瓦葺きの店舗。庭には竹の葉が風にそよぎ、大都市の片隅に江戸の気配が、かげろうのようにゆらめいている。

『かんだやぶそば』の蕎麦は、緑色をしている。これは初代が、蕎麦の味が落ちる夏の時期に、見た目でも客に清涼感を楽しんでもらおうと、蕎麦の若芽を練り込んだことから始まった。現在は若芽の代わりにクロレラを使っているが、緑色の蕎麦は『かんだやぶそば』の、伝統のひとつとなっている。

東京には藪蕎麦を始め、砂場、更科など、長い歴史を誇る老舗が多いが、その中で藪蕎麦は、比較的新しい暖簾だ。砂場が約350年。更科も200年を越える歴史があると言われているのに対し、抜きん出た知名度を誇る『かんだやぶそば』は、その始まりが明治13年。創業からまだ132年しか経っていない。100年を越える歴史があるのに「まだ132年」といわれるところが、蕎麦の世界の凄さである。

江戸の町には蕎麦店が多く、店どうしの競争が激しかった。

ほとんどの店が歴史の彼方に消えていった中で、100年を越える時間を生き延びるということは、並大抵のことではない。

なぜ、藪蕎麦には、それができたのだろうか。

四代目当主、堀田康彦さんは、その秘密を次のように言う。

「老舗というものは、昔のやり方をずっと守り続けているというふうに思われがちですが、そうではないのです。世の中の求めるものを敏感に感じとって、いつの時代も革新であり続ける努力が、長い歴史を生き抜くには不可欠なのです。藪蕎麦の歴史は、創業した当時からずっと、いつも革新の連続だったのです」

『かんだやぶそば』はもとをたどると、江戸期に始まった『蔦屋』という蕎麦店に行き着く。この『蔦屋』が通称「藪蕎麦」と呼ばれ、江戸の蕎麦好きの人々の人気を集めていたのだ。団子坂にあった『蔦屋』の支店を譲り受けたのが、『かんだやぶそば』の初代、堀田七兵衛であった。その後、『蔦屋』の本店は店を閉めてしまったが、団子坂の支店が「藪蕎麦」の暖簾を受け継ぎ、今日の隆盛を築くのである。

『蔦屋』は江戸末期、新興の蕎麦屋として登場し、瞬く間に時代の寵児となった。武家屋敷を改造した店舗に、浴場をしつらえ、客の浴衣まで用意するという経営は斬新だった。たんに飲食を提供するだけにとどまらず、蕎麦を気持ち良く、楽しく食べてもらうことをコンセプトに、まったく新しいビジネスモデルを作り上げたのだ。

創業のときから続く革新の思想が、藪蕎麦には今も受け継がれている。家訓として伝えられているわけではないが、おいしいものを気持ち良く食べてもらう環境を作ることが、現在も『かんだやぶそば』の基本理念となっている。

見方を変えれば「おいしいものを気持ち良く食べてもらう環境を作る」ことこそが、100年もの長きにわたって客を惹き付ける、最大の秘訣だということができるのだろう。


かんだやぶそば
東京都千代田区神田淡路町2-10
電話03−3251−0287

トップページへ トップページへ