《連載》虎視眈々 片山虎之助の眼

日本麺類業団体連合会が発行する冊子『麺』の随筆です。

魅力の新商品が客を呼ぶ

第十七回 片山虎之介

「うどんすき」といえば、大阪名物ともいえるほど良く知られた商品だが、これを考え出し たのは『美々卯』。大正の末から蕎麦、うどんを売り出した、老舗麺類店である。

『美々卯』は、創業のころから、次々に個性的な商品を世に送り出してきた。工夫を凝らしたオリジナル商品が、『美々卯』を支え、成長させてきた。『美々卯』の歴史は、新しい人気商品の開発の歴史であるともいえる。

会長の薩摩夘一さんにお話をうかがった。
 「祖父の代まで、堺で料理屋をしていました。父が大正14 年に、蕎麦の仕事を始めたのです。 父は非常な勉強家で、何をやるにも熱心な人でした」

最初に考えついたのは「うずらそば」だったという。これは現在も、『美々卯』を代表する商品のひとつになっている。大阪の老舗蕎麦店『ちくま』と交流があり、そこの蕎麦に影響を受けて考案した。

 「うずらそば」は、あつもりの蕎麦を、うずらの卵を入れた蕎麦つゆで味わうメニュー。これを手繰れば、温かい蕎麦から湯気と一緒に立ち上る香りと、出汁の味、うずらの卵の味が一体となり、えも言われぬ至福のひとときを過ごすことができる。冷たくてコシのある蕎麦も美味しいものだが、ふわりと軟らかいあつもりは、蕎麦にはま た別の魅力があることを教えてくれる。

 「うずらそば」が客に好評を博したのには、理由がある。蕎麦本来の風味を引き出すために 『美々卯』では、創業当初から原料の玄ソバを産地から仕入れ、自家製粉していた。初期は出雲から。後には信州の戸隠からも、在来種のソバを仕入れている。今、先進的な手打ち蕎麦店が自家製粉を売りにしているが、それを『美々卯』では、すでに86年前に実践していたのだ。現在も石臼のならぶ自社工場を持ち、日本各地から仕入れ たソバを製粉している。

 「うずらそば」は、『美々卯』の看板商品となり、順調に営業を続けていたが、初代はそれだけでは満足できなかった。次に考え出したのは、前述した「うどんすき」である。

薩摩さんは言う。
 「うどんの好きなお客さんにも喜んでもらいたいと、父は思っていました。でも普通のうどんを売りたくはない。その時分から鍋焼きうどんはありました。土鍋にうどんの玉を入れて、かしわと、しいたけ、かまぼこ、斜めに切った葱。あがりに生卵をぽとんと割り込んで出すものです。それはそれで結構なのですが、鍋物というのは、家族とか仲の良い友達など、大勢の人と一緒に囲んで食べるほうがムードがあるやろと。それともうひとつ、父親は料理屋出身でしたので、季節によっていろいろ材料も変えたいと思っていました。鍋焼きうどんの内容をデラックスにすることと、食材を季節によって変えていく。これらのアイデアを形にしたのが、うどんすきだったのです」
 これが大ヒットして、「うずらそば」と「うどんすき」は、『美々卯』の二枚看板となった。

やがて戦争が始まり、『美々卯』も苦しい時代に突入する。
やっと終戦を迎えたその年に、初代が45歳の若さで他界。まだ若かった薩摩夘一さんが、あとを継いだ。

戦後の高度経済成長の中で、あらゆるものが変化した。麺の世界にも、イタリアのパスタや韓国の冷麺など、多種多彩なライバルが現れてきた。

そんな時代に、薩摩さんが考え出したのが「にぎわいそば」だった。
 「40年ぐらい前、盛岡でわんこ蕎麦を食べたことがヒントになりました。蕎麦の前に、マグロの刺身とお漬け物が出てきたのです。それからお椀に温かい蕎麦が、食べ放題という形で出てきた。これは面白いなと思いました。でも、そのまま真似したのではつまらないから、ハモちりや、一口とろろを入れてみたり、幕の内弁当みたいなおかずを付けて工夫してみたのです」

この商品も大好評を博した。
今でもじりじりと、「にぎわいそば」を好む人たちが増え続けているという。

そして、最も新しい商品が「レディース弁当」だ。これは、もり蕎麦や、かけ蕎麦の素朴な味を知らない若い人たちに、蕎麦の良さを体験して欲しいという願いも込めて開発した商品。毎日、完売の盛況だという。

時代が求めているものが、そのまま『美々卯』の新商品に姿を変えて登場する。その魅力があるからこそ、『美々卯』には、きょうも多くの客が集まってきてくれるのだ。


美々卯(本店)
大阪府大阪市中央区平野町4─6─18 御霊神社西裏
06─6231─5770

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