第44回

巨大都市ミナト横浜の中心街で名物そば屋が明かす意外な経歴

にっぽん蕎麦紀行 写真・文/旅行作家 富永政美

人口1万倍の横浜市

江戸時代の東海道では、東の起点、日本橋を後にして、 最初の宿場は江戸の出口の品川。次が六郷川を渡った川崎。
3つ目が、日本橋から7里(28キロメートル)の神奈川宿だった。

その次は保土ヶ谷宿。西へ向かう旅人たちは、左下の長い砂浜の上に100戸ほどの家が並ぶ寂しい村を見た。
地形から、その名は横浜村。だが、旅人の多くは、その名さえ知らなかった。
その寒村が一躍、歴史の表舞台に躍り出たのは、安政元年(1854)のこと。
アメリカのペリー提督が率いる4隻の黒船が江戸湾に現れ、日本に開国を迫ったとき、幕府は条約調印の場として、賑やかな神奈川宿 を避け、寂しい横浜村を選んだのである。
当時、横浜村の人口は350人。それが現在では市として全国最大の350万。1世紀半の間に横浜は1万倍に膨れ上がったのである。
81年に始まった「みなとみらい計画 21」の進展により、地上70階のランドマーク・タワーを始め、高層ビルが林立する大国際都市として、横浜は飛躍を続けている。


安藤広重作『東海道五拾三次』の神奈川宿

『東海道五拾三次』の神奈川宿

高層ビルが林立する「みなとみらい」

高層ビルが林立する「みなとみらい」


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