第42回

東京の蕎麦の里…深大寺で見つけた「アラビキ蕎麦」の驚嘆の味と香り

にっぽん蕎麦紀行 写真・文/旅行作家 富永政美

将軍家光が絶賛した寺の蕎麦

一面に白い花が咲き乱れる蕎麦畑で、純朴な村の若者が、美しい娘に化けたキツネにだまされる…。そんな昔話が、東京都調布市に伝わっている。
調布市の深大寺は関東でも屈指の古い寺で、昔から“蕎麦の寺”として知られてきた。約380年の昔、3代将軍家光が鷹狩の途中、この寺に立ち寄り、寺僧が打つ蕎麦の味を激賞したと伝えられるほか、「深大寺そば」については数多い伝承と文献が残されている。
その深大寺周辺には、いま、22軒の蕎麦屋が軒を連ね、東京都で唯一の「蕎麦の里」として人気を呼んでいる。

関東屈指の古刹、深大寺の本堂

関東屈指の古刹、深大寺の本堂


農家の副業だった蕎麦

だが、戦前からの蕎麦屋は、文久年間(約150年前)創業と伝えられる『嶋田屋』だけ。その5代目当主、嶋田太郎氏が地元の出版物に次のように書いている。
「昭和25年〜26年頃、小学生だった私は、お客さんがくると裏の畑まで両親を呼びに行った。それから父は石臼で粉を挽き、母はつゆを作り、父が打った蕎麦をゆであげる。お客さんは待つこと約1時間半…」(要約抜粋)
当時は農作業の合間ののんびりした営業だったことがうかがえる。
2番目に古い店は、『嶋田屋』の向かいの『門前』。あるじの浅田修平氏(58)は「深大寺そば組合」の組合長で、深大寺の歴史・文化にもくわしい人と聞き、お訪ねした。

深大寺山門前…左が『門前』、右が『嶋田屋』

深大寺山門前…左が『門前』、
右が『嶋田屋』


米に縁のない武蔵野の村

「深大寺は古くから知られた湧き水の里。だが、その水は冷たすぎて水田には向かない。昔から米とは縁のない所でした」と、浅田さんは語り出した。
農業の主体は小麦。蕎麦も作ったが、打つのにウドンより手間がかかるので、産量は少ない。特別な日だけの御馳走だった。
お寺でも、賓客のおもてなしは蕎麦。お声がかかると、農家はすぐ手回しの石臼で粉を挽き、蕎麦を打ってお届けした。


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