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第34回 
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岐阜の大垣で京都の味を固守するにしん蕎麦の老舗、50年の歴史

にっぽん蕎麦紀行 写真・文/旅行作家 富永政美 space

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大垣は『奥の細道』終点の町
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大垣市は人口15万。県都岐阜市(40万)に次ぐ、岐阜県第2の都会である。
江戸時代には戸田氏10万石の城下町。藩祖戸田氏鐡(うじかね)は統治力にすぐれ、美濃街道の宿場町大垣を豊かな城下町に育て上げた。
大垣のすぐ北西には中山道(なかせんどう)の美濃赤坂宿(現大垣市内)があり、2つの街道はそこで結んで、近畿・東海から伊勢へ向かう流通の幹線となっていた。
大垣の街では至る所で豊かな地下水が自噴する。その水を集める水門川(すいもんがわ)は揖斐川(いびがわ)に合流して、その河口の港町、桑名(三重県)に通じる舟運の水路となっていた。
伊勢の桑名の焼きはまぐり…で有名な桑名は東海道の宿場町で、三河(愛知県)の東海道宮宿と船で結ばれ、また伊勢へ向かう参宮道の街道の起点でもあった。 元禄2年(1689)9月6日、松尾芭蕉は江戸から関東・奥羽・北陸をめぐる長い旅を終えて大垣に着き、多くの俳人たちに見送られて、伊勢神宮へ向かうため、水門川の船着き場であった大垣の船町から桑名への船に乗った。
蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
と、ここで詠んだ一句が、150日に及んだ「奥の細道」の結びの句となった。
《句の意味》はまぐりのフタと身が別れるように、この秋の日、みなさんとお別れして伊勢の二見に参ります。
船町の乗船場付近は、現在、美観地区として整備され、「奥の細道むすびの地記念館」が建てられている。芭蕉生誕360年に当たる今年(平成16年)、大垣市では多彩な行事が予定されている。


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芭蕉生誕360年の看板が立つ大垣駅前
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芭蕉生誕360年の看板が立つ大垣駅前
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奥の細道むすびの地記念館
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奥の細道むすびの地記念館
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旅姿の松尾芭蕉(記念館展示)
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旅姿の松尾芭蕉(記念館展示)
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大垣で聞いた見事な京言葉
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昭和20年の空襲で、大垣は市街地の大半を焼失した。戦後の都市計画で、市の中心部は新しい街に生まれ変わったが、水門川に沿って続く2.2キロメートルの「四季の路」には、今も城下町の面影が色濃く残っている。辻ごとに立つ芭蕉の句碑をたどりながら、城跡の大垣公園に入った。そこに聳える大垣城は、全国に例を見ない4層の天守閣が特徴で、戦前は国宝に指定されていたが、惜しくも空襲で焼け、現在の天守閣は昭和34年に鉄筋で再建されたものである。
お城の周辺には、郭町〈くるわまち)・鷹匠町(たかしょうちょう)・俵町(たわらまち)・代官町(だいかんちょう)など、今も古い町名が残っているが、その一つ、御殿町(ごてんまち)を歩いていると、「京の味にしんそば」と書かれた電柱広告が目に入った。
大垣は東海地方の西端に近いとはいえ、名古屋からJRの快速電車でわずか29分の所。麺の食文化としては間違いなく、うどんの名古屋圏に属する。そこで京都のにしんそば…とは?
店の名は『酒井亭』。静かな町並みの中に、京の町屋風の黒格子をめぐらせ、玄関脇の小さな石積みから、大垣名物の名水が湧き出していた。しばし店のたたずまいを観察してから、のれんをくぐると、「お〜いでや〜す」と鈴を振るような声。年配美女の笑顔に迎えられた。
店内はかなりの賑わい。数人の女性たちが忙しく客席の間を駆け回っている。美声の主はおかみさんらしい。
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川沿いの「四季の路」
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川沿いの「四季の路」
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4層の天守閣(大垣城)
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4層の天守閣(大垣城)
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黒格子窓の京風の店『酒井亭』
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黒格子窓の京風の店『酒井亭』
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