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第24回 宮崎県延岡市『田舎屋』
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高千穂の入ロ…延岡の城下町で蕎麦のムシに徹する仲良し夫婦
にっぽん蕎麦紀行 写真・文/旅行作家 富永政美
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昔は7万石、今は企業の城下町
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大分から宮崎へ、県境を越えた日豊本線の特急は、15分ほどで延岡駅に着いた。
延岡市(人口13万)は、宮崎県最北の都会。亜熱帯樹が繁る駅前広場には、当地出身の詩人、若山牧水の歌碑が立っている。
ふるさとに帰り来りて
まづ聞くは
かの城山の時告ぐる鐘
江戸時代の延岡は内藤氏7万石の城下町。城跡の城山公園には、いま石垣と鐘つき堂が残るだけだが、1日10回、高らかに鳴り渡る時の鐘が、市民の心をなごませる。
第2次大戦の空襲で、延岡が市街地の大部分を失ったのは、ここに火薬や軍需繊維を生産する日本窒素の大工場があったからだ。
戦後、旭化成として再生した工場施設は、肥料やナイロンなど、広範囲な化学製品を産出し、延岡を大工業都市として発展させた。
昔は7万石の城下町。いまの延岡市は、旭化成の企業城下町として栄えている。

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延岡駅前広場にある牧水の碑
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延岡駅前広場にある牧水の碑
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今も高らかに鳴る、鐘つき堂
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今も高らかに鳴る、鐘つき堂
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高千穂そばを食べさせる店
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延岡市で日向灘にそそぐ五ヶ瀬川は、熊本県境の高千穂山地から流れてくる。上流の高千穂峡は、天孫降臨神話の舞台として知られる景勝地だ。
高千穂から霧島へつづく険しい山岳地帯の村々では、昔から冬の食料源として蕎麦を栽培してきた。とくに焼き畑農耕で作られる椎葉村(しいばそん)の蕎麦は、産額は少ないが、最高級の品質で知られている。
そんな高千穂の蕎麦を食べさせる店はないものかと、延岡の街を歩くと、あった! 栄町商店街の裏通りに、「石臼挽き高千穂そば」のノボリ旗を掲げる『田舎屋』という店。
飾り気の全くない地味な店だが、蕎麦食い歴65年のワガハイの胸にピピッとオーラが走った。
正面の窓の中で、大きな石臼がゆっくりと回り.、その横で黙々と蕎麦を打つ主人の真剣な表情に、静かな迫力があった。
打ち終わるのを待って、主人に声をかけた。甲斐敦男(かいあつお)さん。56歳。「甲斐サン」はこの地方に多い姓だという。
「いま高千穂の蕎麦は品不足。足りない分は、その南につづく霧島山地の農家から仕入れています」
と、つぶやくような小声で言って、私を奥の作業場に案内した。
カラつきのまま買った玄薔麦は、低温庫で保管し、毎日、使う分だけを脱穀して、石臼で丁寧に挽く。
微妙な青みを帯びた蕎麦の粒は、真珠のように揮いて見えた。
「どんな良い蕎麦でも、臼が良くなければ。理想の石臼を探して各地を歩き、やっと山梨県で見つけたのがコレです」と、白磁色の石の肌を大切そうになでた。

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高千穂の蕎麦を食べさせる店『田舎屋』
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高千穂の蕎麦を食べさせる店『田舎屋』
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『田舎屋』の店内
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『田舎屋』の店内
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『田舎屋』の主人、甲斐敦夫さん
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『田舎屋』の主人、甲斐敦夫さん
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