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にっぽん蕎麦紀行
 


第23回 静岡県清水市『蓬莱亭』清水港の戦前戦後を生き抜いた蕎麦屋のおばぁちゃんの生涯




◎清水みなとの名物は?

清水港(マリンパーク)
清水港(マリンパーク)



次郎長の銅像(清水市梅蔭寺)
次郎長の銅像(清水市梅蔭寺)


「清水ミナト」と聞いて、「次郎長!」と答えるのは、広沢虎造のナニワ節を聞いて育った戦前派のご老体。
「エスパルス!」と答えるのは、当今のサッカー・ファンである。
いまの清水市は、人口24万の国際港湾都市。世界有数の貿易額と、日本一のマグロの水揚げ量を誇っている。
波止場の様子も一変した。赤さびた倉庫群は姿を消し、色鮮やかなマリンパークを中心に、地中海の街のような景色が開ける。
観光の名所としては、第1に「日本平」。お茶とミカンの畑に囲まれた展望台から見る雄大な富士の姿に感動する。
第2が天女伝説で知られる「三保の松原」。肝心の「羽衣の松」が、虫に食われて元気のないのが気になるが。
そして第3が、隠然たる人気の「清水次郎長の墓」。その墓石を引っ掻いたカケラを持っていると、ギャンブルに強くなるという迷信があり、今は鉄柵と金網で厳重に保護されている。






◎港町1丁目の古い蕎麦屋

『蓬莱亭』そばのエスバレス通り。縁石はサッカーボール
『蓬莱亭』そばのエスバレス通り。
縁石はサッカーボール



改築前の『蓬莱亭』。大滝隆哉さんと豊子さん
改築前の『蓬莱亭』。
隆哉さんと豊子さん


昔の東海道江尻宿(えじりじゅく)と、清水港が合併して、現在の清水市となった。
東海道線の清水駅があるのは江尻。港町の中心は、駅から南に1.5kmはなれている。
古い商店街の次郎長通りと、新しい街の中心マリンパークを結ぶ道路がエスパレス通り。
そこから一歩入った港町1丁目に、『蓬莱亭』(ほうらいてい)という蕎麦屋がある。
私が『蓬莱亭』を見つけたのは、今から16年前、昭和61年のことだった。
店主は大滝隆哉(たかや)さん、当時34歳。その母の豊子さん(同70歳)が語る清水港の昔話が面白かった。
「港の男たちは威勢がよかったね。船乗りがオカに上がると、まず一杯、お酒をグイッと引っかけてから、ズズズッと蕎麦をかっこむ。あんな小気味のよさ、今はないよね」
創業は大正9年。初代の松蔵さんが、江尻宿の古い蕎麦屋で修業のあと、港町で『蓬莱亭』のノレンを掲げた。
2代目の好雄さんは、静岡市最古の蕎麦屋とされる『河内庵』(かわちあん)で腕を磨いたあと父の店を継ぎ、隣町の興津から嫁を迎えた。それが豊子さん、当時23歳だった。




◎戦争の苦難に泣く

そして戦争。好雄さんは名古屋の軍需工場に徴用され、そのまま兵隊に取られて、満州の前線に送られた。
小さな子供を3人かかえ、豊子さんは義父母と店を守ったが、昭和20年7月の大空襲。清水市は一面の焼け野原となった。
「終戦後も、主人はシベリアで3年間も抑留され、その間に義父が亡くなりました。その百か日の朝、主人が乗った復員列車が浜松に着くと、知らせが入りました」
父の顔を知らぬ3人の子の手を引き、背に負って、ギュウ詰めの汽車に乗って浜松まで迎えに行った。
汽車の中に夫の顔を見たとき、豊子さんは窓から3男を入れて抱かせた。好雄さんは父が来ていないのを見て、「あゝ、オヤジは死んだな」と直感したという。



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