そばの散歩道にっぽん蕎麦紀行メニューへ次ページへトップページへ
にっぽん蕎麦紀行



第19回栃木県馬頭町『いせや』
広重ブームに沸く県境の町で新しい蕎麦づくりに挑む男の意地




◎広重人気に沸く馬頭町

「東海道五拾三次之内 原 朝之富士」
広重の「東海道五拾三次之内
原 朝之富士」


栃木県馬頭(ばとう)町に『広重美術館』が完成。人口1万4千の町は、いま空前のにぎわい…と、新聞が報じていた。
安藤広重(ひろしげ)は、『東海道五十三次』や、華麗な美人画で知られる江戸後期の浮世絵師である。
その広重作品の収集家として知られた栃木県出身の大富豪、故青木藤作氏が残した数多い逸品が、完備した施設での保管を条件に、この町に寄贈されたのだという。






◎煙草の産地は蕎麦の産地

地名の由来となった馬頭院
地名の由来となった馬頭院


馬頭町…と、資料を調べた。そこは栃木県の最東端。茨城県境の町である。江戸時代には下野(しもつけ)の国の中で、ここだけが常陸(ひたち)の水戸藩領に組み込まれていた。

水戸藩が煙草の栽培を奨励し、久慈郡でとれる良質の煙草、水府葉(すいふは)が、藩の財政を支えていたという話は、第16回の『村屋東亭』の項でも書いた。 煙草の後作(あとさく)には蕎麦が最適とされ、全国の煙草産地は、例外なく、よい蕎麦の産地である。
いま久慈郡の「常陸秋蕎麦」が、品質の良さで定評があるのも、水戸藩の煙草政策のお陰と言ってよい。

その久慈郡に接し、同じ水戸藩の領地だった馬頭町も、昔は煙草の産地だったという。とすれば、うまい蕎麦があるのでは…?
広重と蕎麦…、2つの魅力にひかれて、東北自動車道に車を走らせた。






◎黄門サマが名付けた町

「広重美術館」の後ろは武茂城跡
「広重美術館」の後ろは武茂城跡


「広重美術館」は予期以上の素晴らしさ。たっぷり2時間、幻想の世界に酔いしれた。
美術館の背後に迫る小高い山は、戦国時代にこの地方を支配した武将、武茂(むも)氏の城があった所で、その中腹には、馬頭観音をまつる古い寺、馬頭院がある。
この寺を愛した水戸光圀公(黄門)は、武茂と呼ばれていた村の名を、馬頭村と改めさせたと伝えられる。






◎広重時代の蕎麦を再現?

『いせや』の店(栃木県馬頭町馬頭)
『いせや』の店
(栃木県馬頭町馬頭)

 
 
 
 
 
 
 

江戸時代のメニューを再現…「広重そば」(900円)
江戸時代のメニューを再現…「広重そば」(900円)


馬頭町の中心街で「手打そば」の看板を見つけた。だが、その店は堅くシャッターを下ろしている。
よく見ると、横のガラス窓に古びた張り紙があって、「新店舗ご案内」と、地図が書いてあった。

そこは1キロほど離れた国道沿いで、店の名は『いせや』。広い駐車場には10台以上の車が停まっていた。
さりげなく凝った店内。博多人形のように色白の中年美女が、客席の間を忙しく駆け回っていた。

メニューには大きく「広重そば」とあり、「広重の時代、江戸で人気があったというミゾレ蕎麦を当店流にアレンジしました」と書いてある。
出てきた「広重そば」は丼に入れた冷たい蕎麦。ごっそりと大根オロシをのせ、中央にイクラとナメコを置き、その上に絹糸のように細く切った大根と刻みノリをかぶせて、カイワレの緑を添えている。
もり汁をかけてすすり込むと、サッパリした味わいの中に、見事な新蕎麦の香りが広がった。



-1-
にっぽん蕎麦紀行メニューへ 蕎麦紀行メニューへ 次ページへ 次ページへ トップページへ トップページへ

お問い合わせはこちら お問い合わせはこちら
copyright(c)1998-2007(社)日本麺類業団体連合会/全国麺類生活衛生同業組合連合会