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にっぽん蕎麦紀行



第18回北海道帯広市『丸福』
帯広市80年の歴史を貫く老舗そば屋3代の人間模様




◎大平原の開拓の町

十勝平野の畑作地帯
十勝平野の畑作地帯


帯広市を流れる十勝川
帯広市を流れる十勝川


東京から1時間半。緑のジュウタンの真ん中にテープを貼ったような滑走路に、A300機はトトンと脚をつけた。帯広空港は日本でただ一つ、大平原の中の空港である。ここは全国最大の畑作地帯…十勝平野。その中核都市、帯広市の中心街は空港から北へ25Kmも離れている。

明治以前の帯広は、おびただしい鹿の棲む原野だった。十勝川はここで数多い支流を集めて大河となる。アイヌ語でオ・ペルペルケ・プ…《川尻がいくつにも分かれるところ》…が、オビヒロの語源だという。

明治の初頭、北海道の開拓が始まった。十勝にも全国からの開拓団が入植し、広い農場が開かれると、中心地の帯広村は急速に発展し、札幌に習って縦横を「条」と「丁目」で区切る碁盤目の市街地が形成された。






◎開拓の町のそば屋第1号

『丸福』の千葉隆雄さん
『丸福』の千葉隆雄さん


大正9年(1920)、帯広町(当時)の西1条東8丁目に一軒のそば屋が開業した。屋号は『更科』。それがいま、東1条10丁目に古風な構えを見せる『丸福』の前身である。その3代目、千葉隆雄さん(55)が店の歴史を語ってくれた。

創業者は吉川庄太郎。前歴は鳶(とび)職の親方だったという以外、何も分かっていないが、庄太郎は札幌に行って、『山福』という店で食べた白い更科そばの味に感心し、その店の職人を招いて、帯広でそば屋を開いたといわれる。都会風のアカ抜けしたそばが、開拓者たちに人気を呼んで、店は繁盛した。

庄太郎の妻は千葉ミヨノ。夫婦別姓だったのは、ミヨノが仙台藩士の娘で、家柄の違いから入籍が難しかったからだという。2人の間には子供がなく、仙台からミヨノのイトコで11才の惣助を呼んで、実子同様に可愛がった。惣助は『山福』からきた職人についてそば打ちを覚え、メキメキと腕をあげた。



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