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にっぽん蕎麦紀行
 
 

第7回 福島県『山都町の「農家そば屋」と会津若松市の「桐屋」』
 
1軒の農家から始まった会津地方あげての蕎麦起こし運動

 



◎毛細管の福島県


飯豊山の麓の山都は、福島県西北端の町
飯豊山の麓の山都は、
福島県西北端の町

福島県の、新潟県か山形県でもよい、5万分の1程度の地図をお持ちなら、3つの県境が合わさる所を見てごらん。福島県会津地方の山都町(やまとまち)の西の端が細く長く、山形県と新潟県の間に刺さりこんでいるのに気づくだろう。そこは飯豊山(いいでさん)に向かって延びる約8kmの登山道である。

飯豊山(2105m)は、鎌倉時代に山伏たちが開いた修験(しゅげん)の山で、山頂に祀られる飯豊(ごんげん)は、江戸時代、五穀豊饒(ごこくほうじょう)を祈る農民たちの信仰の対象となり、農閑期には会津地方からの登山者が長い列を作ったという。
その一筋の山道は、道幅だけが会津藩の領域として認められ、今も“毛細管の福島県”として残っているのである。

 



◎そばの里、山都町


農家そば第1号の唐橋克巳さん
農家そば第1号の唐橋克巳さん

山都(やまと)の地名は、飯豊山の戸口、また山三郷(やまさんごう)と呼ばれた山峡の村々の都だったからともいう。そこには越後街道が通じ、また阿賀川(新潟県に入ると阿賀野川となる)の船着き場があって、海・山の物資が交流する交易の場としてにぎわった。

米の乏しい山都では、そばが常食だった。味の良いそばは、街道をゆく旅人たちに喜ばれ、それが村人たちのそば打ち技術を高めていった。

町役場から9kmはなれた宮古(みやこ)集落は、秋になると白いそばの花におおわれる山里だ。そこの農家、唐橋克巳さんが自作のそばを打って、自宅の座敷で食べさせるようになったのは昭和34年のこと。「訪れる人もめったにない山奥でそば屋なんて…」と笑う人が多かったが、それが意外な人気を呼んだ。最初は会津周辺の町から、口コミの輪がしだいに広がって、仙台や東京からまで、そば食いたちが押しかけるようになった。



唐橋宏さんの生家(山都町宮古)
唐橋宏さんの生家(山都町宮古)

それに習う家が増えて、現在では宮古集落34軒のうち13軒が「農家そば屋」を営業する。それぞれが古くからの通称を屋号としており、第1号の唐橋克巳さんの屋号は「なかじま」だ。


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