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にっぽん蕎麦紀行
 
 

第6回 栃木県栃木市『いづるや』
 
いま大評判。栃木市の山奥…出流(いづる)そばの郷

 



◎川の港町として栄えた栃木市


巴波川周辺
巴波川周辺

鯉のいる街、蔵の街…。いまレトロ観光で大にぎわいの栃木市。江戸時代の栃木は川の港町として栄えた。街を流れる巴波(うずま)川は、渡良瀬(わたらせ)川・利根川・江戸川をへて江戸へ通じ、下野(しもつけ)の国の物産はここに集められ、舟で大消費都市江戸へ送り込まれた。
川べりには、今も石壁の倉庫が並び、街には重厚な蔵造りの商家が見事に保存されている。古い家並みを映す巴波川の清流には、10万尾を超える鯉が放流され、優雅な雰囲気をただよわせる。

 



◎昔はここが県庁所在地


栃木市街(蔵の街大通)
栃木市街(蔵の街大通)


600年ほど前、町の氏神として建てられた神明宮の屋根には、10本の千木(ちぎ)が載っていた。十の千木…、トオチギがトチギの地名の起こりといわれ、現在人口8万5千の栃木市は千木のデザインを市章としている。明治6年に栃木県が生まれたとき、県庁はここに置かれたが、宇都宮の反対によって明治17年に県庁は移された。栃木市役所(昔の県庁跡)の横を流れる水路は、今も「県庁堀」と呼ばれ、当時の口惜しさを伝えている。

 



◎山寺の門前に8軒の手打そば屋


『いづるや』の大塚重夫さんとカシコさん(左)とトキさん
『いづるや』の大塚重夫さんと
カシコさん(左)とトキさん

そんな栃木市の中心街から18Kmも離れた山奥に出流(いづる)という山里があり、出流山満願寺(いづるさんまんがんじ)というお寺がある。坂東第17番札所(ふだしょ)とされ、昔から巡礼の寺として知られた名刹だ。出流では昔から山の斜面に蕎麦(そば)を植え、村の女性は「そばが打てなければ、おヨメには行けない」と言われた。
そのそばを満願寺門前の名物にしようと、大塚時高さんが「いづるや」というそば屋を開いたのは昭和38年のこと。「当時は道もひどく、こんな山奥でそば屋なんて…、と物笑いにされました」と、「いづるや」の2代目、重夫さん(51歳)が語る。
だが、昭和50年代になってお遍路(へんろ)さんの数が増え、関東はもとより、近畿地方や、四国からも巡礼が訪れてくるようになった。そば屋も次々と開店し、現在は8軒。ほかに3軒のそば民宿もあり、「手打そばの郷(さと)いづる」として、栃木市も宣伝に力コブを入れている。

 



◎石灰の山が生む蕎麦と水


いづるやの外観
『いづるや』の外観

道がよくなった…とは言え、出流への道はなかなかの難路。とくにダンプカーが多いからご注意。ダンプの多いわけは、途中に大規模な石灰鉱山があるからだ。だが、その石灰岩の山が、良質のそばを育て、出流の地名のもととなった名水を生む。蕎麦が目的でくる観光客が激増したいま、出流地区のそばだけでは足りなくなり、山向こうの葛生町(くずうまち)や粟野町(あわのまち)の農協と農家の応援を得て、8軒のそば屋のうち5軒が自前の製粉所で粉を挽いている。よいそばを打つには、よい粉とよい水が大切というが、石灰層から湧き出す出流の水は理想的だ。「いづるや」のもう一つの自慢は、そばをゆでる釜の湯を松の薪(まき)で沸かすことだ。火力が強く、大量のそばを入れても、湯の温度が落ちないからだという。

 
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