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にっぽん蕎麦紀行
 
 

第5回 富山県富山市『まるぜん』
 
話題呼ぶ越中富山の「漢方そば」

 



◎交通渋滞を知らぬ富山の街


富山へいったら乗ってみたい黒部峡谷鉄道のミニ列車
富山へいったら乗ってみたい
黒部峡谷鉄道のミニ列車

北は富山湾、三方を険しい山岳に囲まれた富山平野は典型的な日本海気候で、江戸時代にフェーン現象による大火は19回にも及んだ。このほか、地震・洪水・豪雪・冷害…と、富山はありとあらゆる災害に悩まされてきた。そして第2次大戦。空襲で富山市はまたも廃墟となったが、その中から、徹底した都市計画を推進し、すっきりとした町並みの近代都市を誕生させたのは、災害に鍛えられた富山人ならではの活力だった。
現在の富山市は人口32万。市街地には広い直線道路が縦横に延び、交通渋滞とは無縁の街と言ってよい。空港から駅までバスで20分という便利さ、この街ならではのものである。

 



◎殿様が宣伝した越中富山の漢方薬


富山の薬を売り出した前田正甫公の像
富山の薬を売り出した
前田正甫公の像


元禄3年というから、今から309年前。参勤交代の諸大名が居並ぶ江戸城の大広間で、磐州(福島県)三春5万5千石の藩主、秋田輝季(てるすえ)公が突然倒れた。
激しい腹痛を訴えて、七転八倒の苦しみ…。ただ、うろたえるばかりの諸侯の中から、越中富山10万石の藩主、前田正甫(まさとし)公が進み出て、印籠から「反魂丹」という薬を取り出して輝季公に与えると、さしもの苦しみがピタリと収まった。「これは不思議…」「何たる妙薬ぞ!」と、その効能に驚嘆した大名たちは、口々に「そのハンゴンタンとやらを、ぜひ我が藩にもお分け願いたい」と懇請した。
前田正甫公は国へ帰るとすぐ、薬種商・松井屋源右衛門を呼んで反魂丹の大増産を命じ、行商人の元締・八重崎屋源六に全国への販売方法を考えさせた。そこで生まれたのが“先用後利”という商法…。行商人が全国津々浦々を歩いて、行く先々の家庭に赤い薬箱を無料で預ける。中には反魂丹を始め、カゼ薬、胃腸薬、キズ薬など、各種の薬を入っている。半年後に再訪して、使った薬の代金を受け取り、減った薬を補充する…というやり方である。
消費者心理をたくみにつかんだこの商法は大ヒットし、江戸時代から明治・大正・昭和をへて、平成の今日までつづいている。昭和初期の最盛期には、1万人を超える「富山の薬売り」が全国を巡回していたという。

 
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