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本山宿(もとやまじゅく)
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そばが我が国に伝播した時期は古く、一説によると中国から朝鮮半島を経由して、約三千年前の縄文晩期ごろに伝来したものとされる。日本でのそばは、その後、凶作のときに備える「救荒作物」として栽培され、すいとんや雑炊、焼き餅などに加工して食されてきたが、石臼による製粉法の進歩と呼応して「そば切り」という麺の形をとるようになったといわれる。

「本山宿」は、そうしたそば切りの発祥地と伝えられている場所で、森川許六(きょりく)なる人物が、宝永3年(1706年)に編纂した『風俗文選(ふうぞくもんぜん)』という俳文集に「そば切りというのは信濃の国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされた」という記述がある。この他にも天野信景(さだかげ)という国学者が、江戸中期に出した『塩尻』という雑録の宝永年間の条に、そば切りは、甲州天目山(東山梨郡大和村にある棲雲寺という臨済宗の寺の山号)から始まったという説もあり、この二つの場所が発祥地を競っているという。

そば切りの発祥地とその時期に関しては不明の点が多く、「本山宿説」も「天目山説」も伝聞の域を出ないものとされているが、文献上そば切りの初見とされているのは、長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺という臨済宗妙心寺派の文書中に、天正2年(1574年)に仏殿の修理工事を行った際、そば切りを振舞ったという記述があり、現在のところこれが最も古い記録であるとされるが、いずれにしても本格的にそば切りが普及し出したのは、江戸中期以降のことである。

●参考文献「そば・うどん百味百選」「蕎麦考」
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