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風鈴そば
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「風鈴そば」は、屋台を担うそばの振り売りの中で最もポピュラーな形態で、その登場は江戸期の宝暦年間(一七五一〜一七六三年)のころより以前といわれる。例えば、宝暦三年写本の『反古染』という文献の中に、「元文(一七三六〜一七四一年)の頃より夜鷹蕎麦切、其後手打蕎麦切、大平盛り、宝暦の頃、風鈴蕎麦切品々出る」とある。また、『明話誌』という文献にも「風鈴蕎麦といふて、屋台の廻りへ風輪をさげてありく蕎麦、うつわもきれいにして、流行す」とあるが、おそらく元文以前から麺類の担い売りが存在したものとされている。

この頃のそば売りの担荷にはだいたい三種類あって、風鈴そばの場合は文献にもあるように、荷台に一つか、二つの風鈴を吊るした市松模様の屋根のある屋台を担って、行燈に「二八そば」と表記し、そば一杯を十六文で売り歩いた。この他、屋根も風鈴もない簡素な荷箱を担いで売り歩くものや、御膳籠という背の低い籠を担いで、「二六」と書いた行燈をくくりつけ、そば一杯を十二文で売り歩いたものなどもあった。

風鈴そば売りは、簡単ながらたね物なども商い、値段意外はほとんどスタイルを変えずに明治以降まで存続していた。また、京阪でも風鈴そばが安永年間(一七七二〜一七八〇年)ごろに現れたとされるが、うどんも商ったので「夜鳴きうどん」と呼ばれた。これはちょうどこの時期になって江戸はそば、上方はうどんという麺類の好みが見えはじめた時期と一致するらしい。

●参考文献「そば・うどん百味百題」「蕎麦辞典」
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