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砂場蕎麦(すなばそば)
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俗に「西のうどん、東のそば」などといわれるが、麺類店の系統の中で古いものの一つである「砂場蕎麦」のルーツは、関西にあるといわれている。文献に「砂場蕎麦」が登場するのは、江戸の中期にあたる寛延二年(一七四九年)に初演された浄瑠璃『双蝶々曲輪日記』や、その二年後に刊行された『軽口浮瓢箪』という滑稽本の中のセリフにその名がみえるらしい。

より詳しいものとしては、宝暦七年(一七五七年)に刊行された『大阪新町細見之図澪標』の文中に記述がある。それによると、大阪の新町遊郭旧西大門のあった新町二丁目と三丁目の境界にあたる南側が俗に砂場と呼ばれ、そこに当主が和泉国(大阪府泉南郡)の出身である「和泉屋」と「津国屋」という二軒の麺類所があったが、ともに砂場にある麺類店という土地柄から、屋号よりも俗称である「砂場蕎麦」を名乗るようになったという。このうち特に「津国屋」は、嘉永二年(一八四九年)に刊行された『二千年袖鑒』という文献の中で、天正一二年(一五八四年)創業とされており、事実とすればわが国最古の麺類店ということになるが、真偽のほどは判明していない。

関東に「砂場蕎麦」がいつごろ進出したのか、年代ははっきりしないようであるが、寛延のころに江戸薬研堀の『大和屋』という店が『大阪砂場蕎麦』の看板を掲げて営業していたという説があり、大阪にルーツをもつ『砂場蕎麦』は、江戸中期のころ関東に拠点を持ち、明治以降その数を次第に増やして発展していったようである。

●参考文献『蕎麦史考』『そば・うどん百味百題』
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